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木漏れ日がまぶたを焦がし、朧は目覚めました。
泉のそばで寝入っていたようで、陽はすっかりと高くなっています。立ち上がって、躰についた土くれを振るい落としますと、いまいちど泉を見やりました。
陽射しの下で見る石の器は、苔むした台座と同様に古びた石でしかありません。願いの水が秘めたる力を発揮するのは、月明かりの下だけだというのは、真実なのでしょう。
水神に頭を垂れて礼をとると、朧は昨夜の場所へ走りました。
木の洞を覗きますと、変わらぬ姿をした子どもがおさまっています。近づくさなかにたてた枯葉の音に反応し、子どもが顔をあげました。そうしておなじように、かすれた声で問います。
「――だれ?」
「……お、ぼぅろ」
脳裏に響く人語を思い起こしながら、なんとか舌を動かして、朧は声を出しました。
「おぼ、ろ。おれ、おぼろ」
「おぼろ、というの?」
小首をかしげた子どもが返したことで、朧は己の「言葉」がきちんとヒトに伝わったことを知りました。
ケモノである自分の発した音が、きちんと人語となって届いたことに、胸の高鳴りを覚えます。
「でる。いどう、する」
「わたしのほかに、だれかいなかった?」
問われ、朧はしずかに答えます。
「いのち、なくした。しんだ」
「――そう」
「たすける。たのまれ」
事切れる前に男は、「助けてくれ」といいました。
救ってくれと願った切なる言葉を、朧は受けたのです。
真なる響きは心を打ち、山里を統べる者として放置はできません。
しばし俯いていた子は、やがて顔をあげると四つ這いになって洞から出てきました。大木に手を添えて立ち上がります。
草鞋から伸びる足は土で汚れていましたが、血のにおいはありません。いま、この場を支配するのは、死したヒトが流したものだけです。
子どもはゆらりと首をまわし、なにかを探すようすをみせました。
「どこへ?」
「しばし、まつ」
朧は子どもを残すと、壊れた荷車の場所へ向かいました。
野菜を縛っていた藁縄を引きずりだすと、前肢と鼻を器用に使って、輪を作ります。それに首を通すと、残った片側を咥えて戻り、子どもの足元へと置きました。
「もってる、つく、くる」
平坦な道を先導しながら、朧は塒へ向かいます。
ヒトの子を案内する場所ではないのかもしれませんが、朧は他の場所を思いつきませんでした。
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