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(2)
「それで、借金の内訳というものは一体どういうものなのでしょうか」
なんだか先生を前にしているような気持ちになりながら、わたしは質問に答えていきます。事情をある程度把握なさると、天使さまは首を振りながらつぶやきました。
「なるほど、貴族としての体面を保つために借金を重ねてきたというわけですね」
「はい、お恥ずかしながらその通りです。祖父も我が家の財政はよく理解していたでしょうから、さっさと爵位を返上してしまえばよかったものを、一体どうしてこれほど『貴族』にこだわったのか……」
亡き祖父は、無駄な贅沢など好まないひとでした。平民になり、額に汗して働くことも厭わなかったでしょう。それなのに祖父は、爵位は返上しないの一点張りだったのです。続く天使さまのお言葉は、わたしにとって青天の霹靂でした。
「あなたのためでしょうね」
「そんな、どうして」
「孫娘のあなたが嫁入りするにあたって、貧乏でも貴族と名のつく令嬢であるか、ただの平民であるかには大きな差が出てきたのではありませんか。おじいさまは、あなたにできるだけ良い条件で結婚してほしかったのではないでしょうか」
馬鹿なおじいさま。わたしは、ただ家族が仲良く暮らせたならば、どんな貧しい生活でもかまわなかったのです。それに……。
「結局、幼馴染との結婚は白紙に戻ったのですから、おじいさまの頑張りも無駄だったということではありませんか。おじいさまは、一体何のために頑張ってこられたのかしら」
「あなたはもともと結婚相手について尋ねてきたのでしたね。もしや破談になったのですか」
「当然のことです。いくら幼馴染とはいえ、ともに背負うことができるものと、できないものがあります。あちらのお宅にまで借金取りが押しかけているような状況では、差し障りがあります。縁を切られても仕方のないことでしょう」
――守ってあげられなくて、すまない――
何度も頭を下げる彼の姿を思い出したくなくて、わたしは目をつぶりました。
婚約していた期間を思えば、婚約者を縛りつけ、時間を無駄にさせたわたしのほうこそ罪深いかもしれません。彼は他のご令嬢にもとても人気のある男性でしたから。
「あなたを捨てた相手を、恨んではいないのですか」
「天使さま、そんな意地悪なことをおっしゃらないで。仕方のないことなのです。もしもわたしと彼が逆の立場だったとしたら、わたしもまた逃げ出してしまったかもしれません。他の仕事や縁談、自分の家族の身の安全にまで影響が出ることがあれば……」
わたしでさえ、祖父の負の遺産に驚いたのです。ただの幼馴染に背負えというのは無理があります。
わたしは単なる婚約者であって、血の繋がった家族ではないのです。ただそれだけのこと。胸の痛みには気がつかなかったふりをして、わたしは小さく微笑みました。
「辛いときに、無理をして笑わなくてもいいのですよ。ここは、私とあなたしかいないのですから」
「……天使さま」
「頑張りすぎていては、いつかあなたが潰れてしまいます」
彼の前では、迷惑をかけてはいけないと笑顔でいました。
祖母の前では、心配をかけてはいけないと笑顔でいました。
ひとりの時には、頑張らなくてはいけないと笑顔でいました。
なぜでしょう、天使さまの言葉があまりに優しくて足元が崩れそうになりました。祖父が大切にしていた蔵書が二束三文で引き取られた時も、祖母が大事にしていた指輪を手放した時も、両親の形見を処分した時でさえ涙はこぼさなかったのに。
まぶたが腫れるほど涙を流してみると、心にたまった滓も流れ出たかのようでした。
「苦しい時には泣いていい。それはごく普通のことです」
「さすが天使さまですわ。わたし、何だか頑張れるような気がしてまいりました」
「その意気です。身売りなどと安直に考えてはいけません。まずは借金を整理し、家財を適正な価格で引き取ってもらうことを考えましょう。大丈夫です。私には、それなりのツテがあるのですよ。蛇の道は蛇ってよく言うでしょう?」
「蛇の道だなんて、天使さまはまるで悪魔みたいなことをおっしゃるのですね」
「天使だと思って油断していると、頭から美味しく食べられてしまいますよ」
天使さまがあまりにも色っぽいウインクをするものですから、わたしは思わず赤面してしまいました。
本当に不思議です。怠くて重たかったはずの体を、動かしたくて仕方がありません。今なら何だってできそうな気がします。
「天使さまに良くしていただいたのですもの。何とか工面して、教会に寄付をしなくては」
「そんなことより、毎日私と話をしてくれませんか。私もあなたが借金を返済するまでお手伝いをさせていただきましょう」
天使さまには旨味のないお申し出です。わたしの負担にならないように、さらりと手を差し伸べてくださる天使さま。今のわたしにとって、それがどれだけ救いとなっていることか、天使さまはご存知ないでしょう。高鳴る胸を押さえながら、わたしは静かに頭を下げたのでした。
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