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ハッと顔を上げると、そこは見慣れた病室だった。窓から見える太陽は、まだまだ高い位置にあって夜には程遠い時間だ。
「寝てた、のかな」
いつの間にか寝ていたのかもしれない。けれど、時間にしたら30分も経っていない。
「それとも白昼夢? まあ、なんだっていいか」
1人呟いて伸びをした時、ガラッと勢いよくドアが開いた。
「……母さん、ここ病院。もっと静かに」
「決まったのよ!」
「だからここ病院だから声抑えて……」
「手術! 手術が決まったの!!」
母さんは俺の足元にしがみついてわんわん泣いた。それこそ、小さい子が泣くみたいに、声をあげて泣いていた。
母さんが泣いてる所なんて見たことがなかったから、俺はどうすればいいか分からなくて、思わずナースコールを押してしまった。
泣き続ける母さんの頭を撫でながら、俺は空を見上げた。
頬を伝い落ちる涙を、拭うことはしなかった。ただ、心の中で友達の姿を想い描いた。
✳︎
「海はいいよなあ。俺、あれから海派になったわ」
俺は挨拶回りのあと、会社とは反対方向の電車へ乗り、向かった先は海だった。
靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をたくし上げて波打ち際まで歩み寄る。足首まで波が来ては引いていく。
砂の感触、太陽の日差し、波の音、空の色、潮の香り。
五感をフル稼働させてこの瞬間を身体に刻む。
「もう少ししたらサーフィンしに来るかなあ。いい時期だろ?」
俺は語りかけるも返事はない。別に返事を求めているわけではないから、気にも留めない。
これは癖だ。もう長年しみついた、独り言。
「また会いたいなあ。いろんなこと話したい。手術のこととか、リハビリのこととか、それこそ俺のこととか——なあ、お前もそうだろう?」
あれから友達には会えていない。もう、姿も声も、ぼんやりとしか思い出せない。
けれど、あの日交わした約束はずっと守られている。俺の胸に刻まれた、大きな勲章と共に——。
目を閉じ、耳を傾ける。
風の音に、波の音に、そして——心臓の音に。
これからもずっと、君と生き続ける。
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