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川越さんの話はこうだ。
45歳の川越さんは実家の近くに家を建て暮らしている事もあって、70歳を越えるご両親と今でも頻繁に会っている。10歳になるお子さんも喜んでいるそうで、仲睦まじい事この上無い。世間一般からみても幸せな家庭だと言える。
だが最近、そのご両親の様子がおかしい。煙草の量が異常に増えたそうだ。川越さんのお父さんは若い頃から喫煙者ではあるものの、1日に一箱分、20本を消費する程ではなかった。だが今ではチェーンスモーカーとも言えるほど、常に手元には火のついた煙草がある。
また、以前は孫の前で煙を吹かすような人間でもなかった。しかし、ここ2カ月程は孫の前でも気にせず喫煙しようとするなど、少し様子がおかしいという。さらには、これまで非喫煙者であったお母さんまで一緒になって吸い始めたそうだ。
当然、注意はしたとの事。身体に毒だとか、孫の健康にもよくないのだから辞めてくれと。だが全くの効果がなく、「老い先短い人生、好きにさせてくれ」と、怒るわけでもなく、穏やかな笑顔で言うのだそうだ。
それも、まるで幸せの絶頂を噛み締めるかのような表情を浮かべて。
「あれこれ我慢させるのも良くないとは思うんだが……でもな、なんというかちょっと異常な気がしてな」
困り顔の川越さんは、奥の壁にあるシャンパンのポスターを眺めながらウーロンハイが入ったグラスをぐるぐる回している。
「お母さんまでっていうのは気になりますね」
「そうなんだよ、それでな、何か変なものでも入っているんじゃないかって思ってさ。1本くすねて来たんだよ」
「ご両親が吸っている煙草ですか」
「そうそう。これなんだが」
胸ポケットから取り出したのは何の変哲もない白くて吸口が茶色の紙巻き煙草。恐らく本来は赤いパッケージのマールボロ。赤マルとも言う。
「私には普通に見えますが……」
「俺もそう思う。だが、何か怪しい気がしてな。調べようにも素人には何もわからなくてな」
「それでオーナーを」
「そう、本職だもんな」
有瀬はこの店のオーナーになる前まで警視庁に勤め、若くして捜査一課の係長を任される程の男だった。今の姿とは遥かにかけ離れている為か、この事を知っているのは常連さんの一部と店の中では私だけ。
「『元』ですけどね。うん、わかりました。伝えておきますね」
さて、件の元エリート刑事様のお帰りはいつになるやら。今夜は少しだけ騒がしくなりそうだ。
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