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これもまた、日常 1
交流戦も後半に入り、始まったばかりのペナントレースが早くも動き出している。
中継の解説者が「交流戦後は順位争いが荒れそうですね」とわかりきったことを最もそうに言ったことにさえムッとした俺は、「んなこと誰だってわかるっつーの」と画面に向かい文句を垂れてみたりして。
一時期は他スポーツに押され下火になりかけた人気も、WBCやメジャー挑戦選手の台頭、それにプレーとは関係なく騒がれるイケメン選手やらお騒がせ選手の活躍(?)により、テレビや新聞でそれなりに取り沙汰される情報が以前より増えてきているように思う。
とはいえ。元来俺は、プロスポーツに然程興味はなかったし、贔屓の球団も特にはなかった。
もっと言えば、テレビ中継が延長されて、楽しみにしていた番組―――例えば憧れのキミ様主演の時代劇だ―――が繰下げなんかになったりすると、野球というスポーツに憎々しささえ覚えていたほどだ。
しかし、そんな俺もある機を境に嫌いとは言っていられない立場となった。
苦手とも言えるその分野にどっぷりと浸かり生きている男と、紆余曲折を経て現在、俺は恋人として付き合いそして同棲までしちゃっているのだから。
――――人生って、何が起きるかホント、わからないものである。
それにしても、どうしたものか・・・と俺は頭を抱え込んだ。
というのも。このところ俺の恋人が所属しているチームの負けが込んできていて、纏う雰囲気が相当ピリピリしているように見えるのだ。
一緒に暮らし始めてだいぶ経つけれど、これまで恋人はそういう仕事でのイライラを家の中に持ち込んだりはしなかった。
そして今夜も・・・またチームが負けた。しかも、エース番号を背負った防御率ナンバーワンのピッチャーで臨んだゲームで、相手チームは高卒ルーキーの初登板。――――もう、負けるわけにはいかなかったのに、チームは負けた。
交流戦前は首位を独走していたはずが、現在、12球団中8位。リーグ内では、離していたはずの2位チームに首位を明け渡すという、何とも目も当てられない状況なのだ。
BS放送で試合終了まで見終え、あまりの惨敗っぷりに暫しその場を動くことができなかった。
勝利チームの監督のインタビューやら、お立ち台やらの映像が流れるのを呆然と見流し、その合間にチラッと映ったダグアウトを後にする恋人のチームの様子は、最早モノクロにさえ見えるくらいに鬱々としたオーラが立ちのぼっているよう。
それでも画面がニュース映像に変わったのをきっかけに、俺はノロノロと立ち上がり、あと2時間もせず帰宅するだろう恋人の夜食を作るべくキッチンへと向かい、悶々とした気持ちのままに手を動かす。
明日の朝食の下拵えも簡単に済ませて、それから少し気持ちを落ち着かせようと気持ちを切り替え、俺は心持ちゆっくり風呂に入った。
きっと今夜も機嫌は悪いんだろうな・・・。
まあ、別に俺に当たり散らすとか言うわけじゃないから、特別どうという事はないのだが、それでなくとも厳つい顔を増々顰められたら、ほんの少しだけ怖いんだ。
もっと笑ってくれたらいいのに。いつもみたいにふてぶてしい程のスカした笑みを浮かべて、軽口叩いて俺を構い倒してくれたらいいのに。―――――――そう思ってしまうのは、アスリート・・・今はコーチだけど・・・いずれ、プロスポーツに真剣に携わる恋人に対する思いとしては自覚が足りないよな。
落ち込んでいるのとは違う。かといって怒り狂ってるわけでもない。とにかく静かに苛立っているあの雰囲気を、僅かでも俺が和らげてあげる事はできないだろうか・・・。
そんな事を滾々と考えながら長風呂を終え、パジャマに着替えて廊下に出た所で、タイミング良く玄関のドアが勢いよく開かれた。
「お、おかえり・・・」
「――――よかった、ちゃんといた・・・」
俺の声と、恋人の焦ったような声がややずれて被る。
そしてその言葉の意味を俺が理解するより早く、俺の体は恋人の逞しい腕の中に引き摺りこまれて、痛い程強く抱きしめられた。
「ど、どーしたの?ちゃんといた、って、何?」
突然の行動に驚いて、俺は恋人の背中をスーツの上から宥めるように摩る。
「――――最近、まともに会話できてねぇから、愛想尽かされたかと思った・・・」
エントランスでインターホンを鳴らしても返事が無く、玄関前でもう一度鳴らしても反応がなかったから、もしかして俺が出て行ってしまったんじゃないかと酷く焦ったのだと、恋人は安堵の溜息を吐きながらそう言った。
ここ数日の自分の態度を後悔しているらしいことは、痛いくらいに伝わってくる。
だけど、そんなことあるわけないじゃん、と俺はできるだけ柔らかく、噛んで含めるようにして告げる。
「―――愛想尽かすなんて、そんなことあるわけないし。もしそんなことくらいで出て行く俺なら、こんなに長くここでなんて暮してなかった。・・・そう思わない?けどまあ俺も、実はどうしようかと思ってたんだよね。俺、一緒に暮らしてるのに、ちっとも役に立ててないなぁ・・ってさ、」
耳元で、恋人がハッと息を飲む。俺はもう一度背を摩り、その瞳を見つめるため少し首を反らす。
驚いたように目を瞠った恋人は、今、一体何を思っているんだろう。何を望んでいるのだろう。
「考えたけどわかんなくって・・・、だからさ、教えて。俺は、諒一のために、何をしてあげたらいい?」
こうして、久しぶりの温もりに包まれて、俺はようやく気持ちが落ち着いた気がした。
顔を合わせなくても心は離れたりしないけど、どうしたって不安は拭いきれない。
だけどこうして抱きしめられれば、分け合う温もりで不安は一瞬で消え去ってしまう。俺って、単純。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
エースで臨んだ今日の試合、仕上がりから見て問題はなかったのに、よりにもよってルーキーの初登板に勝利を献上しちまった。問題はピッチャーではない。間違いなくバッターだ。
今季バッティングコーチに就任して、気にかかっていたことをキャンプ中に改善したり、ピンポイントの選手に絞って特打ち練習をしたりと、檄を飛ばしつつ選手と共に汗を流してきた。・・・が、それが、最近上手く機能していない。――――――理由はわかっている。たったひとりの男のせいで、チームの士気がダダ下がりに下がっているのだ。
・・・・・まぁ、いい。それは今は忘れよう。せっかくこれから自宅に戻って、(今日こそは!)可愛い慶太を構い倒そうと思っているのだから、あんな阿呆のことは考えたくなどない。
ここ半月ほど、実はまともに慶太と顔を合わせていなかったりする。
交流戦期間はやはりどうしても遠征が多くなり、自宅マンションに帰る回数が少なくなってしまう。
各地の宿泊先からマメに連絡を入れ電話でその声を耳にはしていたけれど、比べるべくもなく生身の慶太がいいに決まっている。早く帰りたい。早く慶太に会いたい。―――そうは思うものの、現実問題、なかなか簡単にはいかないわけで。
チームの負けが続き、連日コーチ陣でのミーティングが遅くまで続けられたり、食事をしながら選手の相談に乗ったりと試合以外のことでも多忙な日々が続いていた。すると当たり前だが、会社勤めの慶太と俺の生活ペースは大きく離れてしまう。そして顔を合わせる頻度も時間も、ゾッとするほど減ってしまったのだ。
明日は移動日。少し時間に余裕があるため、今夜は思っていたより早く帰宅できた。時計を見ればまだ日付は越えていない。おそらく慶太は起きているはず。
俺は年甲斐もなくウキウキした気分でエントランスのインターホンを鳴らしたのだが、思いがけず何の反応もない。おかしいな、と思いつつも自分で解除しエレベーターに乗り込み、今度は玄関のまん前でもう一度インターホーンを押してみる。――――――やはり、中からの反応はない。
「・・・もしかして、本格的にやべぇんじゃねぇか・・・?」
ここ半月ほどのすれ違い生活。上手く機能しないチーム状況。その苛立ちを纏わせたまま帰宅して、まともに話もしないまままた次の遠征へ・・・、なんてことを続けていたから、もしかしなくても、慶太はそんな俺に愛想を尽かして出て行ってしまったんじゃないか?―――と恐ろしい考えに辿り着き、俺は慌てて駆け込むようにして部屋の中へと足を踏み入れ・・・。
――――最悪な予想は、どうやら外れたようだ。思わず深い安堵の息を吐くほどホッとした。
慶太は丁度風呂から上がったばかりだったらしく、上気した頬のまま俺を見て「おかえり」と微笑む。
その、あまりにもいつも通りの様子に安堵しまくった俺は、おかえりの“え”の辺りで被せるように「よかった、ちゃんといた」なんて、情けない言葉を吐き出していた。
愛想を尽かしたのかと思ったと俺が言うと、慶太はそんなことあるわけないとすぐに否定する。
それがとても嬉しくて、考えるよりも先に抱き寄せていた細い体を、もっと強く抱きしめた。
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