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4 胸がつまる
「…え~と……く、黒川さん?…肉って………これはまた…なんていうか…」
俺、ドン引き中。
…確かに、俺は肉を食いたいと申し上げました、はい、間違いなく。
痩せの大食いとか、そのちっちゃい体のどこに栄養行ってるんだとか、そんな風に言われるくらい、体に見合わない食欲を持つ男、安宅慶太(俺)。
―――でもさ…(汗)
「……まだ、昼前ッスよ?――――午前中からステーキって…」
さすがにキツくないッスか???
どんだけ肉食なんだよ、こいつ…
「あ?お前が肉って言ったんだろうが」
…ごもっとも。
「…で、ですよねぇ」
目の前でジュージュー焼かれているやたら高級そうな牛さんを見つめつつ、俺は諦めた様にそう答えるしかなかったんだよ。
食べやすい大きさにカットされ、皿の上に綺麗に盛り付けられていく肉を見ながら、俺は聞く。
「…あの……今更なんだけど…俺って、黒川さんと知り合いでしたっけ…?」
「…さぁ、どうだかな―――」
えぇぇぇぇっ??
見ず知らずの人間を拉致って飯食わせちゃうんですか、アンタ??
「イヤイヤイヤイヤ……ほんと、まじ、スイマセン。俺、どっかで見たことある気はするんスけど、全然思い出せなくて。っていうか、さっき、サインとかしてたっスよね?―――俺、どう考えても有名人の知り合いなんて、いないんスよ…」
困った…
隣で豪快に肉を喰らうこの黒川と言う男は、俺の困惑など全く気にしていない…
むしゃむしゃ口を動かしたまま俺をじっと見るその表情は、どう見ても俺の困惑を楽しんでいるようにしか見えない…
なぜだ…なぜそんなに嬉しそうなんだ、コイツ…。
「…まぁ、俺の事はそのうちな―――――とりあえず、食え。うまいぞ、近江牛だってよ」
完全に俺の質問ははぐらかされた。
納得いかないけど…
これ以上聞いても教えてくれねぇだろうな、たぶん。
諦めた俺は置いたままの箸を手に取り、綺麗に盛り付けられた近江牛のフィレステーキを一片持ち上げ、(食べる前に説明されたどこだか外国の)なんとかっていう塩をほんの少しつけて口に運ぶ。
「――ぅわっ、うめぇ…」
近江牛、恐るべし。
柔らかくって肉汁濃厚。
やっぱ、スーパーの特売オー〇ービーフとは違うよな…なんてビンボーくさい事を思いながら、俺は初めての高級ステーキに目を輝かせ食らいつく。
「だろ?―――好きなだけ食え」
好きなだけって…これ一枚でおいくら万円ですか?の雰囲気漂うこの店で、好きなだけ食ったら破産だよっ―――――
その言葉に驚きと少しの呆れを含んだ視線を黒川に向けた俺は、そこで一瞬思考が止まる。
―――なんだよ、その表情…
テーブルに片肘ついてその掌に顎を乗せ、指先を自分の頬にペチペチと当てながら俺を見る(というより見つめる)表情は、もうびっくりするくらい優しいもので。
俺は、その表情から目を逸らす事が出来なくて、”あ、目尻に笑い皺がある”とか”色黒いな”とか”首太いな”とか…そんなどうでもいい事にまで気を取られてて。
「―――おい。そんなに見つめるな。穴が開く」
ククッと心底楽しそうに笑う黒川の声で、意識が覚醒した。
見つめてねぇよ、とか、自意識過剰だ、とか、いろいろ思う所はあったけど、なぜだかそういう言葉が出てこなくて、俺は黒川から視線を逸らして無言のまま肉を頬張った。
たくさん噛まなくても溶けてしまう様な触感だったはずの肉を飲み込んだ俺は、ふいに胸が詰まる感覚に襲われる。
緩く握った拳で、トントンと軽く胸の真ん中をノックする様に叩いてみる。
肉はとっくに通り過ぎている。
何だろう、この苦しさ…?
「急がなくっていいぞ。ゆっく食え。―――おい、大丈夫か?」
そう言って俺の顔を覗き込み、あのマメだらけの手で俺の背中を摩った黒川。
熱さと寒さと緊張と安心が一気に俺の体を駆け抜ける。
「だ、ダイジョーブ……」
カタコトみたいなイントネーションでそう答えるのがやっとだった。
体中に鳥肌がたって、血液が沸騰したんじゃないかっていうくらい全身が熱くて、きっと今の俺、何処も彼処も真っ赤になってる…
それがすごく恥ずかしくて顔を上げられないまま俯いてる俺を、黒川は満足そうに見つめていたってことを俺は知らない。
その後、どうでもいい話を少しして(というか、ほとんど内容など覚えていない)、また車に乗せられた俺が連れてこられた場所、それは…
「―――誘拐じゃなかったんだ…」
大学の正門前に車を横付けた黒川は俺のその言葉に苦笑しながらも、「そう思われても仕方がねぇよな…」と自嘲気味に言い、それから少し真面目な顔をして俺の方へ視線を向ける。
「―――なぁ、お前、いつヒマ?」
「…え?―――ど、どうして?」
「―――俺、割と今、ヒマ持て余してるんだよ。飲みに行かねぇ?」
「…は?―――なんで俺がアンタと飲みに行かなきゃならねぇんだよ」
「俺がお前を気に入ったから。――――まぁ、そのうちまた掻っ攫いに来るわ」
そう言って、俺を解放した黒川はニヤリと笑って走り去る。
俺は、遠ざかって行くレクサスのテールランプを見つめたまま、そこから動く事が出来なかった。
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