宝物

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宝物

「ねえ、覚えてる?」  前を歩くミカは、僕に声をかけた。  茶色いランカンの橋の上から見ると、川は深い緑色をしていた。土手に並ぶ桜の枝のつぼみが、かなり近くに見える。 「覚えてるって、何を?」  ようやくぬるみ始めた風が、二人を包んで通り過ぎていった。肩で切りそろえられたミカの髪と、制服のスカートがふわりと揺れる。 「小さいときに、二人でタイムカプセル、埋めたでしょ」  振り返ったミカの表情が妙に大人びて見えて、僕はなんだかミカが急に遠くへ行ってしまうような気がした。  いや、『気がした』のではなく、文字通り遠くへ行ってしまうのだ。これから、確実に。  ミカの父親が、数日前から行方不明になった。原因は分からない。なんでも、ある女性と一緒にどこかへ行ったんじゃないかとの噂だった。  もともと父子家庭だったミカは、とりあえず親戚の家にあずけられることになった。中学生で自活するのは、なんのかんのいって今の日本ではむずかしい。  親戚の家は遠く、そう気軽に会える距離ではない。そもそも、小さいときはいつも一緒だった僕たちも、ある程度の歳になってからあまり一緒に会うことは無くなっていた。 「ああ、思い出した」  タイムカプセルといっても、本格的な物ではない。四角いクッキー缶に、二、三個その時に気に入った物を入れて、近所の大きな木の根元に埋めたんだ。二人だけで、こっそりと。  小学校に上がるか上がらないかといった歳の、夏の日。むぎわら帽子で淡い黄色のワンピースを来たミカ。触れるんじゃないかと思えるほど、はっきりと大きなセミの声が抗議するように降ってくる。  大きなスコップを地面につきたて、両足で((カッコ)の形の金属板に乗る。土をすくいあげると、土の臭いがした。ぽたぽたと汗が滴る。  すぐそばに立つミカの下半身が、視界の隅に映る。風が吹いて、ワンピースの裾が揺れる。白い膝の上に、紫色のアザが趣味の悪い水玉模様を作っている。  その時から、ミカの体は父親に殴られアザだらけだった。父親は狡猾(こうかつ)な奴で、ミカの人から見えにくい所に傷をつけた。  ようやくできた穴の底に、宝物を入れた缶をそっと置いた。まるで何かの埋葬のように、土を少しずつ缶にかけていったのだ。  すぐ隣を行き過ぎる人をさけながら、僕は言った。 「なつかしいな、すっかりわすれてたよ。でも、なんで急に?」  そう聞きながらも、大体予想はできた。多分、ここを離れる前に掘り出そうということだろう。 「いや、引っ越す前に回収しておこうかなって。もうここに戻ってくることもないだろうし」  橋から道路に下りながら、ミカが言う。 「……うん、そうだよな」  別に、反対する理由もない。  タイムカプセルを植えた木は、広い公園の隅にある。この橋からそこに行くちょうど中間あたりに僕の家はあった。 「じゃあ、ちょっと寄ってスコップ取ってくるか」 「お願い」  目的の公園についたころには、もう日がかたむき始めていた。  いくつか隅に遊具はあるものの、本来は子供向けというより大人の散策用の公園でやたら広さがある。  この時間帯は人がなく、犬の散歩をしているおばさんと散歩中の老夫婦が見えるくらいだった。こんな所でスコップを持った学生二人組なんて目立つだろうから、人気がないのはちょうどいい。  水飲み場に近い、特徴的なウロのある木の根元。そこがカプセルの隠し場所だった。  花壇と芝と、木々の間を伸びる歩道を歩く。小さいときは、歩道なんてかまわないで芝生の上をかけまわった物だった。  目的の木のそばにくると、冬の間に落ちた葉は、キレイにはき清められていた。  乾いた地面の一か所、黒くぼこぼことしている所がある。 (え?)  先に掘り返した誰かがいるようだ。 といっても、カプセルの事を知っているのは僕とミカだけで。  けれど、彼女は何も言わなかった。  なんだかここで僕だけが騒ぐのはおかしい気がして、僕も黙っていることにした。  それとも、自分がこれから掘り出す物の異変に、心のどこかで予想がついていて、わざわざ騒ぐことのほどでもないと思ったのかも知れない。  土の跡にスコップを突き立てると、あっさりと金属部分がめりこんだ。  地面はずいぶんと簡単に掘り起こせた。埋めたときとは大違いだ。土の臭いだけは一緒だったけれど。  土と小石、慌てて逃げる小さな虫たち。その間からのぞく、少しさびた青い四角い缶。  ミカは、僕が缶を手に取るまで一言も口を聞かず見守っていた。  真ん中に、名前も忘れてしまったキャラクターのクマが描かれている。その頭上には、たなびく黄色いリボンが描かれ、『ASUTA LAND』と遊園地の名前が記されている。僕が家族で行ったときに物だ。  手で缶についた土を払いのける。  缶は、案外スッと開いた。錆びた鉄の臭いがふわりとただよった。  プラスチックの赤い花がついたヘアピンと、手の平サイズの小さなペーパーナイフ。ミカの当時の宝物と、僕の当時の宝物。その時、とっても大切で、大人になってもずっと大切なまま変わらないと信じていた物。 「なつかしいな」  そのペーパーナイフは、亡くなったおじいさんの机の引き出しから見つけたものだ。大人に欲しいといっても「危ないから」と没収されるのは目に見えていて、僕はこっそりポケットにしまい込んだのだ。  そのナイフに、茶褐色の粉のような物がたくさんついていた。サビではない。色合いが違う。かすかに湿り気があるのもあり、指先に赤い糸のような跡を描いた。おそらくは、人の血だ。  ――ミカのお父さんは、どこにいったのだろう?――  そうして、僕たちはそれぞれの宝物を手に取った。 「ほら」  ミカは、ヘアピンを髪につけてみた。安いおもちゃのヘアピンは、今のミカには少し不釣り合いなように見えた。 「やっぱり、ちょっと子供っぽいよ」  そう感想をのべながら、僕はハンカチをとりだし、ナイフを包んだ。  空っぽになった箱を、また穴の底に戻す。  青い缶は、また地中に押し込められた。  終わったころには、もうすっかり暗くなっていた。公園の街灯がぽつぽつと灯り始める。 「じゃあ、元気でな」  僕は、それだけ言った。  ミカは、返事代わりに微笑んでくれた。  ミカが引っ越しするまで、数日はある。けれど、もう会うことはないだろう。それに、SNSに電話、メールでも連絡はしないつもりだ。 「じゃあ、ね」  薄闇の中手を振って、ミカは去っていった。  大きな鉢植えの観葉植物を買おう。そして、部屋の隅に飾ろう。  その鉢の中にこのナイフを隠すのだ。  連絡が途絶えても、僕はミカを忘れない。例え大人になって、結婚して、子供ができるくらいの時間がたっても。  鉢に植わった植物は、きっと僕の目には墓標に見えるだろう。  なんの?  もう戻らない子供時代の? 罪を犯す前のミカの? おそらくもう死んでいるであろう、彼女の父親の墓ではないことは確かだ。あんな奴、弔う価値すらない。  まあ、なんでもいいか。      
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