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そうこうしているうちに、健人の上京する日はあっという間にやってきた。
駅まで健人の家族と、私の家族とで見送りに行き、大きなボストンバックを持った健人は少し照れ臭そうだった。
両親には私達が付き合い始めたことを言ってはいなかったけれど、今までの関係性からして健人の見送りに行くことはごく自然なことだった。
「最初はきついかもしれないけど、バイト始めたら、ひよりが帰ってきて欲しいときにはいつでも帰ってくるから」
健人は両親が見ていない隙に、私にそう言った。頬が紅潮していて、健人はその言葉を私に精一杯の気持ちで言ったのだと気づく。初めての恋人らしい会話に私の顔もかっと熱を帯びた。
「何言ってんの。私にうつつを抜かしてる暇あったら、勉強しな」
精一杯の照れ隠しだった。健人は少しだけ寂しそうに笑った気がした。
「ひよりは強いもんな。俺のほうがきっと弱い。正直、この期に及んでこれからの生活にビビってる」
「そんなの当たり前だよ。新しいことが始まるんだから。私だって怖いよ」
傍から見た私達はきっと恋人同士には見えない。でも、そのことが逆に私にとっては嬉しかった。恋人同士よりも、お互いの存在を励みにがんばっていける同志の方が私達にはぴったりな気がした。
初めこそ、ぎこちなかったメッセージのやり取りも、徐々にこれまでのフランクなものに戻っていった。お互いのために、無意識に時間を作ろうとする以外は、あくまで私達はただの幼馴染の関係性だった。
健人は新しく始まった高校までとは違う専門的な講義がとても興味深いものであること、狭い寮の一室は壁が薄くて話し声が筒抜けであることを嘆いた。
私は同じ職場の気が合う同期の話や、お局的存在の意地が悪い年配の女性社員の愚痴、健人の家族も私の家族も元気であることを話した。
「ひより、寂しくないか?」
ある日の夜中の電話。健人は唐突にそう言った。
「急にどうしたの?」
私はからかうように健人にそう言った。
「いや、会いたいなって思ったから」
健人とは、ゴールデンウィークや、夏休みには数回会ってはいたが、どれも家族ぐるみのものだった。
そして、季節は巡り、秋になっていた。これが、健人と離れてから初めて言われた恋人同士らしい言葉だった。
「帰ろうかな」
そういう健人の声は今にも自動車が通る音にかき消されそうになる。寮では電話する声が漏れ聞こえてしまうため、健人とは外で電話するのが常だった。
「まだ二ヶ月だよ?」
家族はとうに寝静まってしまい、この家で起きているのは私だけだった。自分の少し乾いた笑い声が、自室に軽く響いた。
東京では雨が降っているらしく、雨音を含んだ湿った空気が電話口越しに充満してくるようだった。
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