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「俺、帰るよ」
健人はぽつりとそう言った。健斗が今どのような感情を抱いているのかを、私に推し量ることはできなかった。
「帰ってきても何もないよ」
「ひよりがいるよ。会いたいんだ」
健人は今度ははっきりとした口調で、私にそう告げた。後ろの喧騒からくっきりと隔てられたように、健人の声だけが明瞭に聞こえた。
「明日の夜行バスで帰る」
健人はそう断言した。私は肯定も否定もせず、ただ曖昧に返事をするだけだった。
正直に言えば、健人が本当に帰ってくるとは思わなかった。何か寂しくなるような出来事があったと健人は言わなかったし、故郷を離れセンチメンタルになる夜があってもおかしくないと思ったからだ。次の日になれば、何事もなかったようにいつもの健人に戻ると私は踏んでいた。
しかし、健人は二日後の朝、本当に帰ってきてしまった。私は丁度仕事が休みで、バス停についたという連絡を受けて健人を迎えに行った。
「朝早くにごめんな」
久しぶりに会う健人は、電話で話していた時よりも幾分元気なようだった。
「本当だよ、昨日仕事で遅くてゆっくり寝てたのに」
「連絡もしないでごめん。あれからあんまり寝てなくて、バスに乗った瞬間寝落ちしちゃったんだ」
文句を言う私に、健人はそう言って少し微笑んだ。
「これからどうするのよ? 今日は土曜だし健人の家族もうちの家族もまだ寝てるよ」
スマートフォンのロック画面を開くと、時間は朝の五時三十分だった。健人から連絡を受け、私は物音を立てないよう、こっそりと着替えて出てきたのだ。お互いの家で早起きの習慣がある者はいないので、私達は時間を持て余してしまった。
「あそこの公園行こう。小さい頃いつも行ってたとこ」
健人はそう言って、家の方向に向かって歩き出す。近所に紅葉の名所として、地元の広報に小さく取り上げられるくらいには見応えがある公園があったことを思い出す。成長と共になかなか行く機会はなくなっていたけれど、そこは確かに私達の遊び場だった。
「今行けばきっと紅葉が見れるよ」
考えていたことは同じようで健人はそう言った。
「何でもいいけど。何で急に帰って来ようと思ったの?」
「おみやげ、買ってくるの忘れちゃった。今度は絶対買ってくるから」
健人は質問に答えることはなく、これは答える気がないのだと察した私は問うのをやめた。私が都合が悪い質問をし、健人が関係のない話題で返すのが、私達のいつものことだった。
「ほら、ちょうど見頃」
十分ほど歩き、私達の実家が近づいてきた頃、健人はそう言って立ち止まった。健人の言う通り、紅葉は丁度見頃を迎え、葉は赤や黄色に美しく色づいていた。早朝のためか、たまたまか、辺りに人はおらず、私達はたった二人きりでそこに佇んでいた。わざわざ紅葉を見に来るなどいつぶりだろうか。
「東京ならもっときれいなものいっぱいあるでしょ」
そう言うと健人は少しだけ悲しそうな顔をした。言ったあと、少しだけ後悔した。きっと健人が悲しいと思ったのと、だいたい同じくらいだけ。
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