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「誰が隣にいるかが大事なんだよ」
健人はそう言って、私の手を握り、引き寄せて抱き締めた。
「誰か来たらどうするの」
私と健人が触れ合ったのはこれが初めてのことだった。それなのに、私は嬉しさよりも何よりも羞恥心の方が先に立って、健人を遠ざけることしかできなかった。
「ひよりにどうしても会いたかった」
そんな私に健人はそう言った。静かに目を閉じると、紅葉が目に焼き付くようだった。
あの後はすっかりいつもの二人だった。
想定外の帰郷に、健人の家族も、私の家族も驚き、そして心から喜んだ。急ごしらえの食卓には、手の込んだものではなく、至って素朴な料理が何品も並び、健人はそのことを喜んでいるようだった。
「誕生日には絶対帰ってくるから。一緒にお祝いしよう」
帰りのバスに乗り込む時に健人はそう言った。
「忙しかったら無理しなくてもいいよ」
「無理してでも絶対に行くよ。だから、それまで待ってて」
私の誕生日は冬だった。健人は夏に誕生日を迎えていたが、私は何もしてあげなかったことを思い出して、少し後悔する。
「帰ってくるから」と、何度も念押ししながら健人は私と繋いでいた手を、そっと離した。
「気をつけて帰るんだよ」
私のその言葉に健人は嬉しそうに微笑み、東京に帰って行った。
それからまた代わり映えのない毎日が続いた。健人は大学、私は仕事でそれぞれ忙しくしていた。健人がアルバイトをしている時間が少し増えたように感じたけれど、急な帰郷の前後で変わったことといえば、そのくらいのものだった。
あの日のように健人が急に帰ってくると言い出すことはなかったし、当然だけれど私が帰ってきて欲しいと言うこともなかった。私達は、それぞれで充実した日々を送っていた。
「誕生日、なに欲しい?」
「いらないよ。私も健人にあげてないし」
季節が秋から冬に変わろうとしている頃。健人とのメッセージや電話にそのような話が上がることが多くなった。
「俺があげたいからあげるんだよ」
健人はその度に静かな笑い声を立てた。健人が困った顔をしていることが電話越しにも伝わってきて、こそばゆい心地がした。
私は何が欲しいとか、どこに行きたいだとか自分の希望を伝えることはなかった。幼馴染であった健人から何かを改めてプレゼントされるということが私には想像がつかなかったのだ。健人は健人で何かを企んでいるらしく、私もこっそりとそれを楽しんでいた。
「これから寮を出るよ」
誕生日の前日、夜行バスで帰ってくるという健人からメッセージが届いた。私は仕事で疲れて帰ってきて、そのメッセージには気づかずに深い眠りに落ちてしまった。
次に目を覚ました時には、もう健人はこの世にはいなかった。
朝方に、母の慌ただしく階段を駆け上がって来る音と、半分叫ぶような声で目を覚ました。
「どうしたの?」
タオルケットに包まったまま、寝ぼけ眼でそう聞くと、母の声が耳に刺すように飛び込んで来て、私は息をするのを忘れた。
「健人くんが交通事故で亡くなったって」
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