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【彼、来たれり】
始まりの銃声は大きく二発。拳銃にしても相当な大型だろう。
続けて男たちの叫びと無数の銃声、屋敷の外、そして階が騒然とし始める。
「鼈甲小姐」
広い食堂で遅めの晩餐を楽しんでいた若い女主人に、側近と思しき部下のひとりが声を掛けた。
「黒狗が、蜘蛛媛の脚が乗り込んで来ました。表の奴らが応戦中です」
高価な黒と黄の旗袍に身を包んだ小柄な彼女はじろりと視線を向けた。
吊り目気味の双眸に小振りな鼻とくちびる、つるりとした肌を総合した美しさは一種昆虫的なそれすら思わせる。
彼女は無表情なりに不愉快そうな顔を作りくちびるを尖らせてフォークの先を男に向ける。
「はぁー? シノギの仕来りがどーのトか言っテタ連中の親玉だっケ。まっタくめんどくさい連中だネ。何人だヨ?」
「はい、どうも本人らしき男と、部下の男女が」
男の返答に女主人は美しい細眉をひそめて舌打ちした。返答の内容にではない。返答の仕方が気に入らなかったのだ。
「ワタシは何人だって聞いテんのヨ。質問をチゃんト聞いテ答えなさイ」
その苛立った声に男は首を竦めて即座に訂正する。
「は、はい。その……三人です」
「あっそウ」
改めて返された答えに、しかし彼女、鼈甲は関心無さそうに酒を呷る。
「それじゃさっさト殺しなさい、オマエ達にはその為に高い金払っテんのヨ」
そう言っている間にも玄関が破られたのか、屋内まで銃声と喧騒が響き始める。
「っテゆーかさあ、オマエ達やられテなイ?」
彼女のジト目に男が慌てて一歩引いた。
「も、もうしわけありません! おい、裏手の連中を五人くらい回せ! 休みの連中も叩き起すんだ!」
今更ばたばたと指示を飛ばし始めた男を見て彼女は眉間にしわを寄せて大きく溜息を吐く。こんなことなら最初から自分で指揮を執るべきだったか? しかし三度の食事は彼女のなによりの楽しみであり、可能であればそれを邪魔されたくはない。
が、その結果はこのザマだ。何事もそうそう思うようにはいかない。
「はぁぁあ、もウ! 使えない連中ネ。私の晩餐の邪魔させタら許さないヨ?」
「はい、はい、それはもう! すぐに排除致しますのでっ」
鼈甲小姐は黒社会で大陸を広く治める娼館の大元締め蜘蛛媛への恭順を拒む、この辺りでは数少ない有力な女将のひとりだ。
逆に言えば彼女の元に集うのは黒社会ですらなにかしらはみ出した道の外の外に住まう者ばかりでもある。男もまた当然に黒社会ですら脛に傷持つ外れ者。彼女の機嫌を損ねればもはやその先には物乞いの道すら残されてはいない。
この暗黒の大陸において、あれはあれで上下も縄張りもある立派なシノギなのだ。
「まあでも、もう遅いかしらネ」
ため息交じりの彼女の言葉が最後まで吐き出されるより早く、閉じられた食堂のドアに何かが突き立てられ中まで貫通する。
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