【喧騒を見つめる者】

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【喧騒を見つめる者】

 彼が辿り着いたとき、既に事態は始まっていた。  怒声、悲鳴、銃声。  なにとも知れぬあれもこれもが割れる音、砕ける音。  タクシーの運転手に口止め料をたっぷり含んだ釣銭不要の代金を握らせて立ち去らせると、屋敷の門の前に立つ。  半壊した玄関の前には幾人かの物言わぬ男達が転がっていた。生温い風に乗って硝煙特有の(にお)いと鉄錆のような血の(にお)いが彼の鼻腔を刺激する。  黒社会を取材するからには鉄火場跡へ忍び込んだことも幾度かあったが、今まさに目前の屋敷で、それも高名な大幹部のひとりが大立ち回りしている現場などに訪れるのはさすがに初めてだ。  それにしても【大奥様】への取材のあと渡された切符を手に言われるままに電車とバスとタクシーでおよそ三時間、まさかここまでドンピシャのタイミングになろうとは。  聞いた限りでは今回は《大暴食》の不始末で【大奥様】への報告は入っていないという。  つまり、彼女は個々の幹部達の動向をそこまで詳細に、それこそ確定前の行動計画すらも予測可能なほどに把握しているということなのか。だとしたらなんという諜報力だろう。 『アンタがどんな方法で、どんな企てで、どんな(はかりごと)で、アタシを狙おうと一回に限り許そうじゃないか』  自分が彼女の暴力について質問したときの【大奥様】の答えが脳裏をよぎった。なるほど一介の雑誌記者如きがなにを企もうと彼女はものともしないだろう。  身内の動向にも当然の如く目を光らせているであろう部下達ですらこれだけ完璧に把握されているのだ。一般人でしかない自分などホクロの数まで知られていても不思議ではない。  そして、これはある意味で暴力へのアンチテーゼだ。暴力に対して暴力ではなく、それを上回る情報力、諜報力で立ち回れという自分(ジャーナリスト)への示唆なのかもしれない。  ともあれ。  この先は紛れもない死地。無造作に近づくのは危険だ。彼は予め用意してきた双眼鏡を片手に門の内側に踏み込むと、しかし敷地を囲む壁沿いに恐る恐る進み始めた。  なるべく暗がりを、なるべく茂みのそばを。この喧騒なら屋敷の中から自分が見つかることはそうそうあるまい。  銃声の方へ、喧騒の方へ。  硝煙の方へ、血の香る方へ。  飛んで火に入る夏の虫のように、吸い寄せられるように、しかし慎重に進んでいく。  やがて喧騒の現場と思しき部屋の灯りへと辿り着くと彼はそこで足を止めて双眼鏡で現場の窓を覗き込んだ。あの場所は、食堂だろうか?
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