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Ⅰ:side 奏
「奏風先輩は、姉さんの歌声を覚えてますか」
個人練習に付き合ってほしいと言い出したのは、大学の後輩である光希だった。
彼は、僕が代表を務めるアカペラサークルのメンバーで、同じグループの後輩だ。同時に、高校時代の友人の弟でもある。
高校は別だったけれど、彼は僕を追いかけてこの大学に来たのだと言った。「奏風先輩と一緒に歌いたいんです」と大勢の前で告白された時は、周りからの冷やかしが絶えなかったものだ。
光希は僕と同じグループに入った。丁度、メンバーがひとり欠けたところだったから人数合わせにもなったし、なにより彼の高音は、抜けたメンバーにも劣らない程、透き通ったものだった。
男性でこんなに綺麗なソプラノを出せる奴がいたのか。初めて彼の声を聞いた時、あっというまに心を奪われたのを、今でも思い出す。
ちなみに、光希の姉:茜音は、僕をアカペラの道に引きずり込んだ張本人。16歳の時、テレビでみたアカペラの甲子園と呼ばれる『ハモバト!』という番組に影響された彼女が、僕にもそれを聴かせてくれた。
年齢も様々なグループが、楽器を一切使わずに口だけで音を奏で、バラードからロックまで、多様なジャンルを歌っていく。
ボーカルとハモる高低音のパート。その後ろには、ドラムもベースもいるように聞こえる。不思議だ、これが声だけで作られているなんて。
彼女に感化され、僕もあっというまにアカペラの世界にハマった。普段つるんでいた友人たちも誘って、5人のグループを結成した。
軸となるリードボーカルは、僕。茜音はファーストと呼ばれるソプラノを担当した。
動画配信サイトで、プロが歌うアカペラを繰り返し聴きながらパートごとに練習をして、初めて5人で声をそろえた時は、わっと歓声が上がったものだ。
「覚えてるよ」
彼女のことを思いだし、冒頭の光希の問いに答える。
……茜音の歌は、もう聞けない。だけど、高校時代から隣で彼女の歌声を聴いていたから、そう簡単には忘れられなかった。
短くそう答えた僕に、光希は「じゃあ」とまっすぐな視線をこちらへ向けながら問いかけてくる。
「俺の歌と、姉さんの歌……どっちが上手いですか」
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