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「突然すみません! 奏風さん、ですよね?」
ハァハァと息を切らしながらこちらへ駆け寄ってきたのは、見たことのある少年だった。何度か顔を合わせたことがあったような気がする。その程度の認識で思い出せずにいると、彼は「茜音の弟の、光希です」と名乗った。
「丁度良かった、茜音と連絡がとれなくて……」
「あのっ、姉のこと、なんですが……」
彼は息を整えながら「茜音が来れなくなった」という趣旨の話をした。なぜだと理由を問い質したが、光希は「すみません」と謝るばかりで、教えてくれない。
しびれを切らしたメンバーが「どうすんだよクソ!」と光希に掴みかかって、慌ててそれを止めに入る。
「茜音がいなかったら、参加できねえだろ!」と、どこにぶつけたらいいのか分からない苛立ちが、怒声となって周りに散らされる。
すると、光希が「参加、できますよ」と言った。
「……俺が、出ます」
「はあ?」
「姉の代わりに、俺が出ます。予選が終わったら、姉が来れなくなった理由もお話します」
彼の言葉に、一瞬だけ沈黙に包まれた。何言ってんだよ、とメンバーがまた突っかかろうとしたけれど、僕はそれを手で止める。
「茜音から、君の話はよく聞いてた。すっごく歌が上手いって。……でも、これはただのカラオケじゃない」
「わかってます。姉のパート練習にもよく付き合ってました。ソプラノパート歌えます。だから……」
彼の必死な眼差しに、僕は「わかった」と頷き、ある提案をした。それは、光希の歌声をメンバーに聞かせることだ。歌声を聞いてから判断する。そう伝えると、彼は「はい」とそれを受け入れた。
苦渋の選択だが、予選に出るためにはそうするしかない。
「One、Twoーー……」
みんなが納得できなければ、その時は諦めよう。
そう思って光希に歌ってもらったのだけれど……彼は茜音のパートを完璧にコピーしていた。
いや、声量は彼女以上かもしれない。透明感があって、すうっと溶け込むような高音。だけど研ぎ澄まされたその歌声は、周囲の胸にしっかりと刺さっていく。
僕のリードに、綺麗にハーモニーを重ねるソプラノ。
視線が交わって、声が溶けあい、音を作っていく。
Uhー、と消えるような高音を最後に、彼はノーミスで1曲を歌いきった。メンバーは全員、声も出せないほど心を奪われており……数秒後、光希に掴みかかったメンバーが頭を下げた。
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