1の扉

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1の扉

 大きな窓がある。雲一つ見当たらない空に、丸い月がぽつんと浮かぶ。私は窓硝子に寄り掛かるように外を眺めていた。窓の向こうは、空以外何も見えない。部屋の中に目を移すと、月明かりに照らされた三つの扉が浮かび上がる。窓の傍には、白いシーツの乱れたベッド。触れてみると、微かに残った暖かい体温を感じられた。  月の光に反射してくすんだ金色の取手がぴかぴかと星のように光る。私はその光に吸い込まれるように、扉の前に立った。  扉は三つ。私は端から順番に開けてみようと一番右の扉の取手を握る。木の扉は、軽やかに私を迎えるように開いた。 扉の向こうは暗く、足元に二筋の光が見える。光に照らされて、ゆらゆらと足元の波が跳ねた。扉の外でしゃがみ込んで目を凝らすと、扉のずっと向こうまで水面が揺れていた。足元の蝋燭の光は水の奥まで続き、潮の香りが鼻をくすぐる。そっと水面に触れると、心地の良い冷たさがじわりと私の指先を包み込んだ。指先を舐めてみる。しょっぱい。  私はこれを海だと思うことにした。もう少し、海を見ていたい。が、これでは暗すぎるので何か明かりになるものを探すことにした。部屋を探索した私は、ほどなくしてベッド横にある小さな背の低い戸棚に目を付けた。  硝子戸を開けてみると、まるで私のために用意されていたかのように蝋燭と手燭、マッチが綺麗に収納されていた。私は手燭に蝋燭を立てると、マッチで火をつけた。  手燭を持ち再び扉の前に立つ。水面に反射する光の奥に、階段のようなものが見える。私は一歩踏み出し、階段の一段目へと立つ。砂の粒が小さく私の足を刺激する。私は一段、また一段と階段を降りて行く。降りる度沈んでいく身体。  一体何処まで続いているのだろうか。膝下の白いワンピースの裾が、水面に覆い被さる。水面が胸のあたりにくるところで、私は一度立ち止まった。階段の端に立てられた揺らめく蝋燭の炎。  私は好奇心で手燭を海の中に沈めてみる。炎は大きく揺らいだ後、消えることなく水に包まれて燃えていた。私は満足するとまた階段を降り始めた。思い切って頭の先まで海に沈める。海水に侵食されていく身体。不思議と心地良かった。私は少しずつ呼吸を試みる。と、難なく息をすることが出来た。  私は大きく深呼吸をして、手燭で先を照らす。まだまだ続く階段。海の底は見えない。水中の為、上手く身体が重力に従わない。階段を軽く蹴って降りると、微かな浮遊感と共に癖のある私の長い髪がふわりと私の頬を撫でる。私は楽しくなって階段を駆け下りるように足を進めた。と、不意に遠い海底から冷たい空気と共に沢山の泡が私に向かって流れ込んできた。私は驚いて足を止め目を瞑る。勢いよく流れる水音と、全身に叩き付けられる冷気。緩んだ手から手燭が攫われる。私は咄嗟に手を伸ばすが、もう遅い。いつの間にか消えている足元の蝋燭。  私は一人、真っ暗な海に取り残された。どうにかして戻ろうと階段を上るが、上れば上ろうとするほどに階段は崩れて私の足を包み込むばかりだ。ふと、呼吸が出来ないことに気がついた。どうしても息が出来ない。まるで海の中に居るように。私は必死に階段だったものを駆け上がりながら息をしようともがくが、身体にまとわりつく冷気が私に無駄だと告げていた。私の身体は多くの海水を飲み込み海の底に沈んでいった。
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