第5章:嵐の前の静けさ

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「マジで、この夏フェス終わったら仕事入れんなよ、桜庭のババアにも言っとけ」 「うーん、イベントが終わったら、イベント媒体の制作準備になるから、もうちょっと先かな」 「おい、その頃は年末のカウントダウンライブの準備が始まるじゃねーかよ、クッソ」  もちろん、年間を通して仕事があるというありがたみはわかっている。しかし、どれも手を抜かない主義だからこそ、全力で駆け抜けることになる。よくもまぁこのペースを十年続けてきたものだ。  会話が途切れた瞬間、空也が水を飲むのに起き上がると、同じソファに座っている健一との距離が近いことに気づいた。少し疲れている表情の健一の横顔を見つめていると、その視線に気付いたのか、ふと目が合った。 ――この距離は久しぶりだな。  そういえば、お互いの仕事が忙しくて健一と一緒にいる時間も少ないし、ましてやこうして同じタイミングで家に帰ってくるということもなかった。おはようとおやすみどころか、キスなんてまるっきりしてないし、最近は健一に触れたことすらない。  目の前にいる健一の、温かくて柔らかい頬に触れたい。小さな肩を抱き締めたい。腕の中で大人しくなった健一の頭を撫でたい。髪の匂いを嗅いで安心したい。今までずっと蓋をして抑えていたはずの小さな欲が、後から後から芽を出してくる。恋人なら許される当たり前の行為に躊躇してしまう。
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