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「健一」
名前を呼ばれて顔を向けた健一と目が合う。この空気がどういう空気なのか、わかっているはずだ。空也が手を伸ばし、指先が健一の頬に触れた、そのときだった。
「ぼ、僕、まだやり残したことがあった!」
健一は即座に立ち上がり、テーブルの上のファイルケースに手を伸ばし、引っ掴んだ。
「何をだよ。今日やんなきゃいけないことか」
「なるべく早くって言われてたから、部屋に戻ってやってくるよ! 夕飯の時間くらいにまたこっち戻ってくるから」
「待てって」
立ち上がった空也は、この場を立ち去ろうとする健一の腕を掴む。
「明日でいいだろ」
「えっと、今日のうちにやっておきたい、かな」
「なんで」
健一は顔を伏せ、その答えを言わずにいる。おそらく頭の中で必死に、空也が納得できる言葉を生み出そうとしている、そんな表情だ。
「俺たちが揃って今日みたいにゆっくりできる日はいつ来る?」
「当分、難しい……と思う」
「じゃあ、今、少しだけ時間くれよ」
健一は観念したのか、黙ったまま空也と向き直った。
空也は片腕で健一を抱き寄せて頬に唇を寄せた。思っていた以上に、その頬は柔らかい。引き寄せた手で健一の後頭部をクシャクシャと撫で、鼻先を近づけると自分と同じシャンプーの香りがする。もう一度頬に、今度はチュッと音を立ててキスをすると、健一の体はびくんと跳ねた。
両手で健一の両肩を掴み、頬、首筋、と唇を這わせていく。空也の腕の中の健一は、まるでじっと耐えているように、肩も背中も強張ったままだ。片方の手を健一の背中側に回し、ロンTの裾から滑り込ませる。細い腰はしっとりと汗で湿っているが、温かい。
ちら、とソファを見て距離を目で測る。このまま押し倒しても危なくない距離であることを確認して、健一の腰をぐっと掴んだその時だった。
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