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「でも夏休みが終わったら、もういなかったんだよな」
「それは母が再婚したからですよ」
「……そうか」
「前は母の旧姓でしたけど、成田に変わって。父の急な転勤もあって、遠くへ引っ越したんです。ちょっと大変だったな」
軽く言ったつもりだったが、返答を探している保科に、成田は笑いかけた。
「でも家族仲、いいんですよ。妹もできたし」
「成田さん、妹いるんだ」
「ええ。両親が再婚した後に生まれて。今、高校生です」
「女子高生か。いいなあ。うちは男ばっかり三人兄弟だよ。むさ苦しい」
「長男?」
「そう」
「いいじゃないですか、弟も」
「今となってはなあ。ガキの頃は喧嘩ばっかりだよ。物を壊してよく親に怒られた」
薬缶から沸騰する音がし始め、会話が中断した。火を止めると店内が静かになる。
成田は薬缶から湯をコーヒーポットに移し、適温に冷ました。それからフィルターに少し注ぐ。蒸れた頃にまた注ぐ。コーヒーの粉からゆっくりと泡が立った。徐々にしぼみ、また湯を注ぐと泡が膨らむ。
「覚えてるかな、公園で」
再び話し始めた保科に、成田は目を上げた。すぐにまた手元に視線を戻す。
「公園?」
成田は頭の中で近所を探した。一番近いのは小学校の先にある小さな公園だ。
「俺ね、そこで泣いている成田さんに虫を投げたんですよ。おもちゃだったけど」
成田は手を止め、保科を改めて見た。記憶の中の少年の面影が、保科の輪郭に重なった。
「……浩平くん」
保科は笑顔を作った。
確かにそんなことがあった。
成田が転校する少し前のことだ。
「あれでみんなにいたずらしてたんだよな。結構気に入ってたんだけど、あのあと失くしちゃって」
成田はポットを置き、しぼんでいくフィルターの泡を見つめた。
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