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転校することを母親に告げられた翌日だった。
新しい学校にもようやく慣れ、このまま安心できる日々が続いていくのだと思っていた。
母に結婚する人がいるのは知っていた。父ができるのはなんとなく嬉しかったし、その人のことも嫌いではなかった。
大人たちは突然変更になった予定に合わせることに忙しく、成田を気遣ってくれてはいたが、自分の気持ちを言い出すことができなかった。
大人たちの前で泣くことはできなかった。
すっかり忘れていたことだ。
あの頃の心細さと寂しさが、体に広がっていくようだった。
「失礼かもしれないけど、成田さんのこと、女の子だと思ってたよ」
「昔、よく間違えられました」
「……なんで泣いてた?」
カウンターに肘をついた姿勢で、保科が見上げた。
保科の声はほのかに灯る明かりのように成田を緩ませた。どう言おうかと迷った。
「何ででしょう。……思い出せない。友達と喧嘩したのかな」
「悪かった」
保科は妙に生真面目に詫びた。
その表情に、心当たりがあった。
公園でブランコに座って泣いていた時、足音が聞こえた。
目を開けると小さなスニーカーが見え、顔を上げた。保科浩平だった。
話したことはなかったけれど、いつも走り回っていて、明るくて、ちょっと面白くて、女の子からも人気があった男の子。その彼が立っていた。
「……保科さんも、泣きそうでしたよ」
「え?俺が?」
成田はうなずいた。
「そうかな。いや、そんなことないよ」
保科は神妙な表情で否定した。
「それにしても、泣いている子に虫を投げるなんて」
「意味わかんないよな。多分……」
保科は考え込むように頬杖をついた。
「元気づけたかったんだろうな。驚かせて、笑わせたかった」
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