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空気が動き、気配と体温を感じた。顔を上げると間近に保科がいた。成田はやや身を引いたが、保科はかまわず成田の頬に触れ、肩を軽く引き寄せた。考える間も無く体は動き、保科の胸に収まった。
お互いの心臓の音が交わるようだった。
呼吸を繰り返した。
緊張した体から力が抜けていき、血がめぐっていく。
「……その人、男?」
成田はうなずいた。保科は息をつき、成田の髪に顔をうずめた。
「よかった」
「どうして」
「俺は成田が男でも女でもかまわなかったけど、成田も同じか、わからなかった」
「わからないのに、俺に好きだって言ったの」
「諦めようと思ってた。今、逆転した」
保科は笑い混じりに言った。
入り口のドアが開く音がした。
保科は顔を上げ、成田の肩に手を置いてから立ち上がった。カウンターを出ていく姿を成田は見ていた。
フロアの方から、保科の丁寧に詫びる声が聞こえた。客が来たようだ。
年配の女性で知った声だった。成田はしゃがんだまま天井を仰いだ。少し冷静になってきた。たしかにこの顔で接客はできない。
客は成田が30分ほどで戻るとわかると、出直すと言って出て行った。保科は客のオーダーも聞き取っていた。
再びドアが閉まる音がし、保科がカウンターの裏へ顔を見せた。
「また来るって」
「ありがとう。……お客さん、笠井さんでしょう。年末に必ず来る方で……助かった」
保科が差し伸べた手を取り、立ち上がった。
成田はふっと笑った。
「成田って、ほんとは自分のこと、俺って言うんだな」
「……うん」
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