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保科が表情を緩めた。
「顔、洗ってこいよ。俺が店番しようか」
「コーヒーの種類、知らないでしょう?」
保科は顔をしかめた。
「まあ、せいぜい成田はいませんって言うぐらいかな」
保科は成田を呼び捨てにしていた。
「じゃあ……ドアの看板をクローズにしてもらえるかな」
「わかった」
「コーヒーも淹れ直すよ。まだ時間はある?」
「今日、予定はないよ」
保科の返事に微笑み、バックヤードに入った。
ハンドタオルを取り出し、蛇口をひねって顔を洗った。タオルを水に浸し、絞って顔に当てる。大きく息をついた。
驚いた。突然泣いてしまったことも、さっきまで保科の胸にいたことも。
体が緊張したせいか、腕が痛んだ。息とともに力を抜く。体の芯が軽く痺れるようだ。
間近にあった保科の顔が浮かび、成田はタオルを握った。
もう一度顔を洗い、鏡でチェックして店に戻った。
保科はカウンターの奥の席に座り、文庫本を広げていた。
「おかえり」
「……ありがとう」
成田はドアプレートをオープンにし、保科に客のオーダーを確認した。棚から瓶を取り出し、カウンターに入る。
薬缶を火にかけた。保科は文庫本に目を落としている。
ほとんど日も落ちかけていた。ガラスに仕切られた向こう側では、相変わらず人々が行き交っている。店の中は二人だけだ。
保科がため息をつきながら姿勢を変えた。なんの本を読んでいるのかカバーが見えないが、表情が変わる。
客のための商品を用意し、コーヒーを落とし終えるまで保科は本に没頭していた。
コーヒーカップをそっと置くと、保科は目を上げた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
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