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彼は明るく笑み、店内に足を踏み入れた。成田は扉を閉め、先に立つ客の背中を見上げた。あたたかな、冬の匂いがする。
彼はフロアを何歩が進むと、足を止めた。
壁側にはずらりとコーヒー豆の入った瓶が並んでいる。この手の店に慣れていないらしい。
「お好みはありますか。合わせてお選びしますよ」
「そうだな……モカはありますか」
「はい。こちらに」
成田が中へ進み瓶に手を伸ばそうとすると、彼は店内を見回した。カウンター席は3席あった。
「そこでいただけますか」
ラストオーダーは過ぎていた。初めての客だし、まあいいかと思った。
「どうぞ」
成田はにこりと微笑み、彼を席へ案内する。彼はまっすぐにカウンター席の真ん中に座った。
水の入ったグラスを置き、成田は薬缶を火にかけた。彼は棚に並んだ瓶やコーヒー器具などをしげしげと眺めている。
「お仕事帰りですか」
成田が声をかけた。
「はい。ずっと寄りたいと思っていたんですけど、なかなかタイミングがなくて。今日やっと来れました」
「そうでしたか。お帰りはいつも遅いんですか?」
「まあまあ、かな」
「お忙しいんですね」
そんな他愛のないひと通りの世間話をした。
変わった客だな、と思った。わざわざ足を運んでくれたのはありがたいが、閉店前とわかっているこの店で、コーヒーを一杯飲んでいくのだろうか。この辺りには、他にまだ営業している喫茶店はある。そちらの方が落ち着けるはずだし、わざわざこの店に来た理由がわからなかった。
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