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保科が笑った。
「ずっと成田のことを忘れられなかった。多分これからも忘れられない。どこにいても、何をしていても、会えない成田のことを考えて、うずもれていくんじゃないかって。そう思ったら、アンモナイトになってた」
「なにそれ」
「だから、いいんだよ」
保科の声は柔らかかった。力が抜けた。成田も思わず笑ってしまい、取り出したカップを並べた。
薬缶がさかんに沸騰しはじめ、火を止めた。いつもの手順でコーヒーを淹れる。保科がそれを見ていた。少ない明かりのせいか、表情が和らいで見える。
コーヒーを注いで保科の前に出した。
「いつもとカップが違う」
「今日はね」
「洒落てて、年季が入ってる」
「うん。店が始まった時からあるものだから」
保科は手の中で眺めてから、口に運んだ。
もうひとつを保科の横に置き、カウンターを出る。保科の左側の空いた席に座った。
「新鮮だな」
「たまにはね」
成田は少し笑い、両手でカップを持った。
ふわふわするような、ちょっと据わりが悪いような感覚だ。
はじめて保科が店に来た日から、彼のいる空間は特別だった。
冬のはじまりの、あの夜のことを思い出す。
保科が入り口のドアから覗いていた。目が合った時のことを。保科が店に足を踏み入れた時の、冬の匂いを。
「成田、寒くない」
「急に?」
「寒いの」
「……寒いかな」
くだらない、と自分で笑いながら保科が成田の手をにぎった。
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