【赤い部屋】のメルニカ

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 母は天災のような女だった。  気まぐれで、悪戯で、容赦がなくて。  愛らしくて、無邪気で、目が離せなかった。  だからだろうか、母を買う男は後を絶たなかった。  母は夜毎、人工太陽を中心としたL–30居住コロニーの娼館スペース、通称【赤い部屋】で、男に組み敷かれたり、男を組み敷いたりしながら淫らに喘ぎ、快楽の海に溺れた。  彼女をめぐって、毎夜おそるべき額の金が飛び交い、ときには流血沙汰になることもあった。  母はそんなことには頓着せず、ただきゃらきゃら笑って一番高い金額を出した男をベッドに招いた。母がじっと見つめて微笑むだけで、男たちは神経を抜かれたようにふにゃふにゃになった。母の言葉だけがこの世の真実となり、子どものように愛を求めた。けれども母は薔薇のように美しいかんばせや、豊満な肢体を惜しげもなく晒しても、心を明け渡すことはなかった。美しさに呆ける男の頭を蹴飛ばしたり、あまりの快楽に泣き喚く男の目玉を舐めたりしていた。  ――そこに産まれたのが、わたしだった。  男たちは、日々膨らんでいく母の腹を戦々恐々として見守っていた。  そしていざ子が産まれると、【赤い部屋】には湯水のように金が注がれ、赤子を見せろと男が押し寄せた。ついでに男の妻や恋人である女たちもやってきた。  しかし母は決して口を割らず、赤子を抱いてベッドに腰かけていた。その様はまるで聖母だと、何人かの男は涙を流して跪き、母のつま先に口づけた。  生まれたての赤子は猿と大差なく、皆、赤子が育つまで待とうと協定を結んだ。コロニー中で、誰が父親か賭けが行われた。  しかしわたしが一歳になった日、賭けは無効となった。  母が赤子に煮湯を浴びせ、猿から人間になりかけていた顔をケロイドに変貌させたからである。  母からの通報(コール)を受けてすっ飛んできた医者が見たのは、母の腕の中でけたたましい泣き声をあげる赤子と、それを撫でながら鈴の鳴るように笑う母だったという。とにかく、その医者の尽力のおかげでわたしは生き延びた。  けれど顔は二度と元には戻らず、それから十七歳の今に至るまで、包帯をぐるぐる巻きにして過ごすことになった。男たちはわたしを遠巻きにし、視線をやることさえなかった。  母は歳を重ねるごとに熟れた色気を放出するようになり、虫のように群がる男たちと戯れた。  わたしは【赤い部屋】では使い物にならなかったので、毎日雑用をして過ごしていた。掃除をしたり、税務手続をしたり、女たちのドレスを繕ったり、何でもやった。何でも屋のわたしを女たちは可愛がり、世話を焼いてくれた。子を育てた者を母というのなら、わたしの母は【赤い部屋】の女たちであり、【赤い部屋】そのものであると言えるだろう。  母は――わたしを産んだ女は、わたし(こども)には興味がないようだった。  その瞳がわたしに向けられることはなかった。というより、彼女はこの世の何にも意味を見出していないのではないかと思えた。  男と絡み合っていないとき、母は窓辺に座って外を見つめていた。同僚たちのように【赤い部屋】を出て買い物をするでもなく、漠と広がる宇宙の向こうに視線をやり、彫像のようにじっとしていた。  ときおり、母の美しさに目を灼かれた男が【赤い部屋】にやってきては、「きみがぼくのものにならないなら死んでやる!」などと叫び、文字通り部屋を赤く染めることがあった。母は機嫌が良ければ手を叩いて笑い、悪ければ眉一つ動かさずにその場を去った。  だからやはり、母は天災のような女だった。  人間ごときの意志では動かせない、予測不能で制御不可能な、抗い難いものだった。  ――宇宙嵐にも似ている。  わたしは窓の外を眺めながら、声に出さず呟いた。わたしに与えられた小さな部屋には一つだけ窓があって、普段なら、そこには人工太陽の強烈な輝きがあるはずだった。  居住コロニーは、人工太陽を中心としてコマのように回る円筒形の建造物である。回転するのは重力を発生させるため。すなわち、人工太陽から離れれば離れるほど重力は強くなり、このコロニーでは最遠層が1Gとなるよう設定されている。  【赤い部屋】は最近層であり、0.5Gしかない。だからいつだって人工太陽の眩い日差しが容赦なく照りつけてくるのだが、今日は違った。窓の外には、淡い緑色のオーロラが光り輝く幕のように揺れていた。  人工太陽のフレアによる宇宙嵐だ。このときばかりは【赤い部屋】だけではなく、コロニー中の人々が部屋に閉じこもる。磁気嵐を恐れて中枢のシステムはダウンしているし、単純に危ないからだ。  わたしは窓辺で頬杖をついて、緑色から紫色に様子を変えるオーロラをぼんやり見ていたが、やがて飽きてベッドに寝転がった。目を閉じると、しんとした静寂に包まれた。いつも騒がしい【赤い部屋】がこんなにも静まり返るのは、宇宙嵐が来たときくらいだ。  そのとき、腕に巻いた通信端末から、ピピ、と微かな電子音がした。  とっさに応答ボタンを押す。息を呑んで待っていると、ひび割れた声が端末から流れた。 「あー、メーデーメーデー、こちら〈星の旅人〉のシェン、応答求む」
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