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【満月】
「ねえ、覚えてる? 思い出せた? この町のこと」
恵理奈の言葉で、僕は我に返る。
葉桜の並木道が綺麗な、住宅街。
子供たちが走り回る公園。古びた橋がかかる川。
今日、僕が彼女と見てきたものは、どこにでもある穏やかな田舎町の風景だった。
「やっぱり……覚えてない?」
隣りを歩く恵理奈が、僕の顔を覗き込む。
「なんとなく、懐かしい感じはするけど……ごめん」
頭を掻きながら、そう答えた。
「そうだよね」
口調は明るいが、彼女は少し寂しそうだった。
「晃希 くん、中学校を見た時だって、竜二くんのお葬式の時だって、ピンと来てなかったもんね」
僕には、この月寄町で過ごした二年間の記憶がない。
それどころか、町を去った後の東京での記憶もあまりなかった。
両親の話によると、僕は中学二年の春に、この町へ引っ越してきたらしい。卒業まで過ごした後、父の仕事の都合で再び引っ越したという。
クラスが違う恵理奈とは当時、付き合っていたようだ。
「遠距離になるから卒業式の日に別れた」、「あの時はすごく泣いた」。
そんな話を、彼女が笑いながら教えてくれた。
僕が記憶を失ったのは、月寄町から東京へ移り住んで一年ほど経った頃だった。
交通事故に遭い、何日も意識が戻らなかったのだという。病院のベッドの上で目覚めた時には、自分がなぜここに居るのかがわからなかった。
でも不思議なことに、月寄町へ引っ越す以前のことは覚えていた。
中学二年から事故に遭うまでの約三年間だけ、僕の中から抜け落ちてしまったのだ。
そして、記憶を失ってから約一年後――。
僕は今また、この町で暮らし始めた。
「こうして一緒に町を歩いてみたら、もしかしたら思い出してくれるんじゃないかなーなんて思ったけど……」
そう言って、恵理奈は「えへへ」と笑った。
無理して、明るく振る舞おうとしてくれている。
その優しさが胸を締めつける。
「本当に……ごめん」
「いやいや! 謝らないでよ! これからこの町にいられるんだから、ゆっくり思い出していこう?」
「うん……。ありがとう」
僕のぎこちない笑顔を見て、彼女は苦笑する。
「変わったよね……晃希くん」
「それは、悪い意味? それとも……」
僕の問いかけに、彼女は「さぁ」と夕焼け空を見上げる。
「どっちだろうね」
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