第1話 出勤当時の服装は

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第1話 出勤当時の服装は

「出てきたわ。彼女も一緒よ」  アパートの外階段に二つの人影を認めた私は、同乗している二人の部下に告げた。 「そんじゃ行きますか、ボス」  大きな身体の金剛が助手席で首を捻じ曲げると、ハンドルを握っていた大神が「待てよコンゴ。尾行なら俺が行くよ。その図体じゃ逆に目立つだろ。車で待ってな」と言った。 「なんだあ?俺じゃ尾行が務まらねえってのか、このワン公」  コンゴというのは、金剛の事務所内での呼び名だ。私がいつもの漫才を始めた二人を残して車を降りると、目標のカップルは手を繋いで表通りに出てゆくところだった。 「どっちでもいいから早く出てきて。見失っちゃうわ」  私が発破をかけると、運転席から飛びだした大神が「頼むぜ」と言って後ろ手でドアを閉めた。 「……もう、肝心な時にふざけてちゃ駄目じゃない」 「向こうが悪いんスよ、ボス。だってボスにもしものことがあったら「飛んで」来られるのは奴だけですからね。何があってもいいよう、準備万端で待機してもらわないと」 「不名誉な事言わないで。こんな地味な案件で不穏な展開になるわけないでしょ」  私はそう言うと無言で肩をすくめた。どうもうちの部下たちは、私と一緒だとピンチになると決めつけているフシがある。  私と大神は通りに出ると、雑踏に紛れて若い二人の後を尾行し始めた。男性の方は継田勇人(つぎたゆうと)。この春、大学に進学したばかりの若者だ。  女性の素性は今もって不明だが、頻繁に会っていることは間違いない。先夜から勇人のアパートに泊まりこんでいるところを見ると、同棲も時間の問題なのかもしれない。 「水商売の出勤にしては早すぎる時間よね。二人でランチかお買い物ってとこかしら」 「そうでしょうね。女の方も水商売のメイクじゃあないように見えますし」  私たちは肩を寄せ合って歩く二人を視野の隅に収めつつ、あれこれと憶測を飛ばした。  進学のため一人暮らしを始めた息子が、どうも得体の知れない女に入れ込んでいるらしい――今回の依頼は、勇人の身を案じる母親からのものだった。 「うまく行けば今日中に調査が終わるわね」  私が楽観的な観測を口にすると「だといいんですけど」と大神がネガティブな言葉を返してきた。 「だって、調査期間は一週間しかないのよ。これ以上、てこずったら見積もりを超えちゃうわ」  私は半分、八つ当たりとも取れるぼやきを口にしていた。現在、わが探偵社はベテランとホープの二人を欠いた状態で運営している状態なのだ。二人が戻ってくるまでにこの案件を何としても終わらせてしまいたかった。 「あ、建物に入っていきましたよ、ボス」  大神に告げられ目を凝らすと、連れ立って一件の店へ入ってゆく二人の姿が見えた。 「何のお店かしら」 「さあ……。ここで出て来るのを待ちます?それとも玄関前の様子がうかがえる場所に移動します?」  大神に問われ、私は少し考えた後「私たちも入っちゃいましょ」と言った。 「えっ、それじゃ尾行の意味がないじゃないですか。顔を覚えられたらおしまいですよ」 「大丈夫よ。貧乏カップルを装って紛れ込んじゃえば、私たちなんて誰も注目しないわ」  私は気乗り薄そうな部下の腕を取ると「ぐずぐずしてると見失っちゃう。行きましょ」と言って二人が消えた店へと向かった。交差点を渡り、店の前に着くとデコレーションケーキのようなごてごてした看板と、ホワイトチョコレートのようなドアが現れた。 「いらっしゃいませー」  ドアをくぐった私と大神は、ドールハウスかと思うようなロココ調の内装と可愛らしい店員さんの笑顔に思わず後ずさった。 「あの、このお店は……」 「スイートフローラル二号店、プリンセスボーイです。お客様は初めてですか?」 「え……ええ、まあ」  私はハスキーな声で畳みかける店員に圧倒されつつ、あの二人はどこにいるのだろうと目線を動かした。 「ボス、あれ……」  大神に耳打ちされ、目線の先を追った私はフロアの奥でもじもじしている人影を見て、目を瞠った。 「……嘘でしょ」  先ほどまで女性をエスコートしていた勇人が、フリルとレースにまみれたお姫様コーディネートの店員となって何やらレクチャーを受けていたのだった。 「水商売の人じゃなかったんスね……」  大神がそう言って目で示した先では先ほどの『彼女』が、やはりお姫様スタイルで忙しなく立ち働いていた。 「待って、勇人がここで働いてるってことはつまり、あの『女性』も……」  私はようやくすべてを理解した。実家を離れた勇人が独立して真っ先に飛び込んだのは。おそらく地元ではかなえられなかった「女の子として働く」という経験のできる場所だったのだ。 「きっと受験勉強をしながら、ネットで指南役になってくれそうな先輩を探してたのね」 「だから行動を共にして女の子らしさを学んでたってわけか……やれやれ」  私は思いのほか早く『女性』の正体がわかったことにほっとすると同時に、さてこの調査結果を依頼人にどう伝えたものかと頭を悩ませ始めた。               〈第二話に続く〉
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