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男は苛ついていた。街中を早足で歩いている。
銀髪の長髪以上に、漆黒のロングコートと中折れ帽が非常に特徴的だ。
さらには、顔の半分以上を覆う大きなサングラス。
それゆえ、わずかに露出する肌が病的なまでに青白いことはほとんど目立たない。
殺気立っているとまで言っていいほど怒りを内に収めているのは、
満足のいく品物が今日も見つからなかったからだ。
男は賑わう繁華街から徐々に遠のきつつ、家路につく途中だった。
その最中、思わぬところで足を止めた。
「旦那、どうです。最新鋭のものを用意していますよ」
露店商が声をかけてくる。男がふと見やると、頭頂部がはげ上がった小太りの中年男性だった。
薄汚い路地に、段ボール箱を積み上げたような簡易のテーブルに、サングラスが三つほど並んでいた。
普段なら足など止めない状況だったが、男が探していた品物だったために、わずかながら興味がわいた。
「旦那、サングラスお好きですよね。夜なのに、そんなに大きなものをしていらっしゃるんだもの」
「……この街はネオンが眩しいからな」
男はやや警戒した面持ちで、掛けているサングラスを指で押し上げた。
そう、今は真夜中である。
しかしながら繁華街はまだまだ星明かり以上に街灯やネオンサインが煌めいている。
いくら眩しいとはいえ、それに対してサングラスを掛けるような者は、彼くらいだろう。
「何が最先端なんだ?」
男は全く期待していなかったが、せっかくなので話くらいは聞いてやるかと店主の方に向き直る。
一晩で十店舗もの眼鏡屋を回っていたのだ。最後に一つくらい増えたところで、これ以上不機嫌になることはないだろう。
「耐久性、機能性、重量感のそれぞれを突き詰めた三種類です。なかなか入ってこないんですよ」
男が見やると、三つのサングラスは確かに異彩を放っている。
この露店商、怪しい風貌からして、転売屋なのかもしれない。
少なくとも、まっとうな眼鏡屋ではないだろう。
だがまっとうである必要はない。こちらが納得のいく商品であれば、メーカーや価格、売り手の胡散臭さなど問題にならない。
男は、その一つをつまみ上げて驚く。
「これは……」
露店商は重量感を突き詰めたと言っていたが、確かに羽のように軽い。期待よりも遙かに軽い。
男の興味は一気に高まった。
続いて店主は、耐久性を突き詰めたものを手に取り、石畳の路上に落とすと、不意に踏みつけた。
「……ッ!?」
男が驚く間も、店主はさらに体重をかけて何度もサングラスを足蹴にした。
そしてそれを手に取り、テーブルに戻す。男はそれを見てさらに驚いた。
「傷も歪みもないだと……」
「ええ、グラス部分は防弾ガラスで、フレームは形状記憶合金で出来ています」
正直言って、この胡散臭い店主を舐めていたことを内心で認める男。
いつの間にやら、体制も前のめりになっていた。
「では、機能性に特化したものはどんなものだ?」
「それは、実際に試用されてみるといいでしょうね」
店主に促され、男は自身のものを外し、そのサングラスを掛けてみた。
「なんだ、これは……」
男が求めていたものがそこにはあった。
フレーム部分が立体構造になっており、顔の凹凸に限りなく密着し隙間をなくすことによって、
外部からの光を一切遮断する。その上で、グラス越しに見た光がまるで感じられない。
テーブルに置かれている古ぼけたランプが、先ほどまでは頼りない光を放っていたはずだが、
今はその外観だけはしっかりと認識できるものの、明かりを作る中心のフィラメントが何の熱も持っていないように見える。
少し外して隙間から見やると、やはりランプはちゃんと点いていた。
「すばらしい……」
口から思わず、賞賛の声が漏れる。
まさに、男が最も愛する夜の威厳が戻ったような、高揚感が得られていた。
久しく味わっていなかった興奮だけに、男は食い入るように店主に詰め寄る。
「これは特殊な塗料を多重にレンズに塗ることで、光のみを排除しながらも……」
「店主、これを私に購入させろ! 金に糸目はつけん!」
「え……、ええ、もちろん。こちらお持ちください。お代金はこちらで」
店主は値札を切り、男に見せる。
「思ったより安いな。では確かに。釣りはいらん。取っておけ」
男は懐から紙幣を取り出し、サングラスを掴んで足早に店を後にする。
店主は男にお辞儀をしたまま、裏路地の闇の中に飲まれていった。
一ヶ月後。男はこのサングラスを気に入り、出来る限り一日中かけていた。寝ているときまでだ。
男は爽快感と共に目を覚ました。
こんな気分は何年ぶりだろうか。
男は寝床から這い出すように起き上がり、分厚いカーテンがで覆われた窓の近くまで歩いていく。
「ふふふふ、今宵も数多の美女達の血肉を……」
不適に笑う男は、その台詞半ばに、一瞬にして消え去った。
彼の着ていた服だけが床に落ち、体の方は灰になって崩れた。
朝日に晒されてキラキラと舞う、粉雪のようにも見えて実に儚い。
その灰の山に添えられるように、男が掛けていたサングラスが落ちていた。
二人は男の住まいへと土足で押し入っていた。
その主は既に灰となって死んでおり、寝室にはベッドではなく六角形の棺桶が置かれていた。蓋が半分だけ開かれている。
棺桶の中は、深紅の重厚な緩衝材が敷かれ、シルクで覆われており、寝心地が良さそうだった。
「驚きました。まさかこんな方法でうまくいくなんて……」
若い女性は手際よく、塵芥と化したヴァンパイアの残骸を、小さなスコップでビニール袋へと回収をする。
ヴァンパイアの討伐依頼は高額だ。
なぜなら、彼らの戦闘能力は非常に高く、人間など軽く撫でられただけで致命傷を受けてしまうからである。
一人を殺害するのに100人以上の人命が失われたことだってある。
彼女も、実際に今の現場研修に参加する前は、所属するハンター協会の方針によってかなりの戦闘訓練を積まされている。
それゆえ、正面切って戦わないよう注意は受けているが。まさかここまで戦わない方法があったなんて。
「彼は夜を愛していたのではなく、光を嫌うが故に暗闇を求めていたんだな」
後から部屋に入ってきたのは、あのサングラスを男に売りつけた店主だった。
お互い聖職者のような服に身を包んでいるが、店主の方は壊滅的に似合っていない。
二人は、まだわずかばかりの期間ではあるが弟子と師匠の関係にあった。
「いいかい、ヴァンパイアには弱点が多いと習ったろう」
弟子が協会で習った、ヴァンパイア退治の基礎講座を思い出す。
ヴァンパイアは銀の弾丸や聖水、十字架や胸に杭を打つなど、師匠の言葉通り意外と弱点は多い。
そして、極めつけは、光に弱い。日光にその姿をさらすと、体が灰となって死んでしまうのだ。
「しかし、そのどれを恐れるかは、ヴァンパイア個人の性格や思考、趣向や性癖などによって様々だ。
まずはそれを見極める必要がある。今回の彼は、まあ典型的だが一番光を恐れていた」
「ヴァンパイアにとって、一番の天敵みたいなものですもんね」
「ああ。そして嫌いなものを出来るだけ見ないよう、避けたい傾向があったんだな」
「なるほど、それでサングラスを使って出来るだけ光を見ないようにしていたんですね」
「そうだな。そこにつけいる隙があった」
師匠はまず、自身が作り上げた彼がもっとも欲しいと思うサングラスを提供し、
それによって光から目を背ける生活を送れるように誘導する。
そうはいっても、日光を浴びたら死ぬという弱点は克服できない。
いくら光が見えなくなるとはいえ、部屋の遮光をやめるわけないない。
だから、彼が熟知している自宅の窓のもっとも日当たりの良いカーテンを、遮光性が低いものに師匠が換えていたのだ。
同時に、時計を一ヶ月かけてゆっくりと遅らせていき、彼の起床するタイミングを日中にまでずらしていた。
どちらも、彼が棺桶という密封性の高い中で眠っていたので、その隙に細工をするには訓練を積んだハンターにとってさほど難しくはない芸当である。
家宅への不法侵入はしているが、ヴァンパイアに人権などないので問題はない。
彼がこの一ヶ月間、あのサングラスの出来があまりに良いものであると気に入っており、
四六時中つけて生活するようになった事によって可能となった策略である。
師匠の思惑は、見事に的中していた。
これによって師匠はヴァンパイアと、武力をもって対峙するリスクを完全に排除していた。
さすがは、協会で研修先にもっともオススメされた実績を持つヴァンパイア・ハンターである。
「ちなみに、他の二つのサングラスも、使われないのによく出来てましたよね」
一通り灰を集めきった弟子が、師匠の方に向き直って質問する。
「ああ、あくまでダミーではあるが、その要求を満たすレベルまではしっかり開発したぞ」
「すごい……。でもこれ、ヴァンパイアだけでなく、人間相手でも結構売れるクオリティだと思うんですが、
そういったことはされないんですか?」
下手すると、この販売だけで、ヴァンパイアを複数体倒す程の利益が得られるんじゃないだろうか。
弟子自身、ちょっと欲しいなと思ってしまっている。
「そんなこと考えるわけないだろう。私は商売人ではなく、ハンターなのだから」
「は、はあ……」
素晴らしいことを言っているであろう師匠の言葉ではあるが、弟子はそれをうまく飲み込めない。
そんな弟子の心境をよそに、師匠は得意げに布袋を取り出した。
「次の標的はこれを使って倒すつもりだ」
「ん? 何です、カブですかお師匠?」
助手は首をひねる。師匠が得意げに掲げているのは、何の変哲もない野菜のカブだった。
「君の目にもそう見えるなら、問題なさそうだ。これはどう見てもカブにしか見えないよう品種改良した、ニンニクだよ。完成するのに二年を要した」
すっかり忘れていたが、ニンニクもヴァンパイアが嫌うものの一つだ。
弟子は開いた口が塞がらない。この人は、製品開発の技術だけでなく、農業学にも長けているのか。
「しかし、いつもヴァンパイアの討伐報酬以上の経費がかかってしまうのが、まだまだ私の未熟な所だな」
そう言って大きく頷くと、師匠は高らかに笑った。
弟子はそんな師匠を横目に、はははと乾いた笑いで返答する。
確かにものすごい努力の結晶で、結果も出してはいるのだが、
どうにもやり方が正しいとは言えないような気がしている。器用貧乏というか、才能の無駄遣いというか。
世の中には、こんな隙間産業のようなやり口で成果を出している、ヴァンパイア・ハンターもいるのだからわからないものである。
助手は改めて思った。
この人は確かに優秀なのだろうけれど、私が目指すべき姿ではない。
明日、ハンター協会に問い合わせて、研修先を変えてもらおうと。
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