第2話

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第2話

 三日後。  あれから、ジョシュアは何も連絡を寄越してこない。  話をポジティブに捉えたベアトリクスが早々に切り上げて帰ってきてしまったため、恐らく奴のプライドは相当傷ついているはずである。  もしかしたら、今頃ブチ切れてティルシーに八つ当たりでもしているのだろうか?  元々、あの二人は物語の後半辺りで大々的にざまぁされる予定ではあるのだが……序盤で不仲になるのも、それはそれで面白い。  ……そんなわけで。  とりあえず、ベアトリクスの花嫁修業先は彼女の命令通り俺が見繕った。  一つ目の候補は、辺境の村にある仕立て屋。  田舎の仕立て屋とはいえ、それなりに名が知れているから奉公先として選ぶ平民も多い。  二つ目の候補は、国境の町にある酒場。  国境の町と言えば、人の出入りも多い。  そんな町の酒場のウェイトレスとして暫く働いていれば、それなりに社会勉強になるしコミュニケーション能力もつくだろう。  三つ目の候補は、旦那様──つまり、ベアトリクスの父親の知り合いの辺境伯が住む邸宅。  実は、ここはベアトリクスとアルヴィスが初めて出会う場所でもある。  物語の序盤で王都を追放されたベアトリクスは父の知り合いの辺境伯の元でメイドとして下働きをすることになるのだが、ある日、その邸宅にアルヴィスが所用で訪ねてくるのだ。  ベアトリクスは緊張するあまり紅茶をアルヴィスの服に零してしまうのだが、優しいアルヴィスは笑ってそれを許す。  それをきっかけに二人の距離はどんどん縮まっていき──いよいよ、甘々な溺愛生活が始まるのだ。  恐らく、ベアトリクスが三つ目の候補を選ばなかったとしても、物語の強制力か何かが働いてそのうちアルヴィスと出会うことになるだろう。  とはいえ、俺は全力で三つ目の候補を推すつもりでいるのだが……。  そんなことを考えながら、俺はベアトリクスの部屋を訪ねる。  そして、早速見繕ってきた候補先を書いたメモを見せた。 「お嬢様。ご命令通り、行き先の候補を見繕いました」 「ありがとう、レオン」  ベアトリクスは俺に向かってお礼を言うと、早速メモに目を通し始める。 「ちなみに……私のおすすめは、三つ目です」 「お父様の知り合いの……?」 「はい。やはり、素性の知れない人間の元で働くよりかは、お父上のお知り合いの元で働いたほうが良いと思うので……」 「うーん……」  ベアトリクスは腕を組み、考え込むような動作をする。 「それもそうですわね。レオンの言う通り、そこにしましょう」 「……! 左様でございますか。これで、旦那様も安心してお嬢様を送り出せますね」  言いながら、俺は安堵のため息を漏らす。 「……ねえ、レオン」 「はい? 何でしょうか?」  安堵していると、ベアトリクスが突然神妙な面持ちで尋ねてくる。 「わたくしが花嫁修業から戻ってきたら、また専属の執事として仕えてくれますか……?」 「……!」  意外な質問をされて、言葉に詰まってしまう。  きっと、ベアトリクスがここに戻ってくることはもうない。  まずジョシュアが許さないだろうし、それ以前に……彼女は花嫁修業先でアルヴィスと出会ってそのまま彼と結婚することが確定しているからだ。  それなのに……  ──この胸の痛みは、一体何だろう?  前世の幼馴染によく似たお嬢様だったから、情が湧いてしまったのだろうか?  これから先も、ずっとそばに仕えたいと思ってしまう。  主人の幸せを喜べないなんて、執事失格だ。 「もちろんですよ。お嬢様は、孤児だった私を拾ってくださった恩人です。あなたが私を必要としてくれる限り、私は死ぬまであなたの『執事』で居続けますよ」  そう返すと、ベアトリクスは少し寂しそうな顔をして笑った。  実は俺は孤児院育ちなのだが、十二歳の時にアリンガム侯爵に声をかけられて使用人になったという経緯がある。  偶然、街中で俺を見かけたベアトリクスが何故か気に入ってくれたらしく、「ぜひうちの執事になってほしい」と頼み込まれたのだ。  その後、ベアトリクスと同い年だったということもあり、俺は彼女の専属執事になった。 「ありがとう、レオン。……あなたがわたくしの執事になってから、もう六年が経ったのですね」  感慨深い様子で、ベアトリクスがそう言った。 「そうですね。本当に早いものです」 「でも、向こうに行ったらもうレオンに頼ることはできません。……だから、そろそろ自立しなくてはなりませんわね」  ベアトリクスは伏し目がちにそう言うと、寂しそうに窓の外を眺めた。  ***  あれから、約二ヶ月が経過した。  今、俺は馬車に揺られながら、ベアトリクスが働いている辺境伯の邸宅に向かっている。  というのも、心配性なアリンガム侯爵から「娘の様子を見てきてほしい」と頼まれたからだ。  ──ベアトリクスなら、きっと大丈夫。  そう思いつつも、俺も彼女のことが心配だった。  だから、ちょうどいいタイミングで御用を申し付けてくれた旦那様には正直感謝していたりする。 「あと、どれくらいで着きますか?」 「そうですねぇ……多分、一時間くらいかと」  御者に尋ねるとそう返ってきたので、俺は一眠りすることにした。  長旅の疲れがどっと襲ってきて、自然とまぶたが閉じる。  ──俺は、夢を見ていた。  と言っても、今世の夢ではなく前世の夢を見ているようだ。  場所は……幼少期、よく遊んでいた公園か……? 「うぅ……ひっく……」 「大丈夫か? 琴音。くっそー、あいつら! 琴音が大人しいからって、いつもいじめやがって……!!」  そう叫びながら、俺は拳を握りしめる。  どうやら、琴音をいじめていた子供達を追い払った直後のようだ。  俺も琴音も、まだ体が小さい。背丈から察するに、六歳くらいだろうか。 「立てるか……?」  俺はそう声をかけると、琴音に向かって手を差し伸べる。 「うん……ありがとう、柳太郎くん。また助けてもらっちゃったね」  起き上がった琴音は、申し訳無さそうに謝る。 「気にすんなって。またあいつらがいじめてきたら、俺が追い払ってやるからさ! 俺、実はクラスで一番喧嘩が強いんだ! この間も、クラスメイトと喧嘩して相手を泣かせてやったよ!」  腰に手を当てて、得意げにそう言ってみせる。  すると、琴音は何かを決心したように口を開いた。 「……あのね、柳太郎くん。私、強くなる。これ以上、柳太郎くんに心配や迷惑をかけたくないから……」 「琴音……?」  不思議に思った俺は、首をかしげる。  そして、夢はそこで途切れた。 「……うーん……ハッ!」  馬車がガタン、と揺れた衝撃で目が覚めた。  腕時計を確認すると、あれから三十分ほど経っていた。 「それにしても、なんであんな夢を見たんだろう……」  ──今思えば、琴音はあの日を堺にポジティブな性格になったような気がするな。  そんなことを考えながら、俺は大きく伸びをした。  ***  辺境伯の邸宅を訪ね、中庭に行くと、すぐに洗濯物を干しているベアトリクスの姿が目に飛び込んできた。  フリルの付いたエプロンと、ロングスカートタイプの黒いメイド服を上手に着こなしている。  もうすっかり、この邸宅に馴染んでいるようだ。 「レオン!? どうしてここに!?」  叫びながら、ベアトリクスは目を瞬かせる。 「旦那様から御用を申し付けられたんですよ。お嬢様の様子を見てきてくれないかって」 「まあ、お父様が……? 本当に、極度の心配性ですわね。お父様は」  呟くと、ベアトリクスは苦笑する。 「それだけ、大事にされているんですよ」 「ふふ、それもそうですわね」 「あれ……そう言えば、他のメイドはどこにいるんですか?」  ふと、疑問に思ったことを尋ねてみる。  例え人手不足だったとしても、仕事をたった一人のメイドに任せるなんて考えづらい。 「休憩していますわ」 「えぇ!?」  素っ頓狂な声を上げた後、ふとベアトリクスが追放されてからの展開が頭をよぎる。  ──ああ! そうだ! うろ覚えだけど……確か、小説では追放先で他のメイド達からいじめられる展開が待っているんだったっけ……!? 「お嬢様。もしかして、仕事を押し付けられたのでは……?」 「押し付けられた……? いいえ、違いますわ」  俺の質問に対して、ベアトリクスはきょとんとした顔でそう返す。 「彼女達は、わたくしのためを思っていつも沢山の仕事を回してくれていました! ……そう、わたくしが将来立派な王妃になれるよう、あえて厳しい試練を与えてくれたのですわ!」  あー……やっぱり、メイド仲間達による陰湿ないじめもポジティブに捉えていたか。  ていうか、婚約者であるジョシュア王子は「あの勘違い女が戻ってきたら、今度こそ追放してやる!」なんて言って息巻いているんだけどな。  だから、ベアトリクス……残念だけど、君が王妃になる日は永遠に来ないんだよ。  ……とは流石に言えないので、俺は黙り込む。 「でも……『もっと仕事をくれ!』と要求していたら、いつの間にか彼女達はわたくしを避けるようになってしまいましたの」 「へ、へぇ……」  多分、ドン引きされたんだろうなぁ……と思いつつ、相槌を打つ。 「そんな経緯があって、こうして率先して仕事を引き受けていますのよ!」 「さ、左様でございますか! 流石、お嬢様です! ──話は変わりますが……ここ最近、何か変わったことはありませんでしたか?」 「変わったこと……?」  俺が尋ねると、ベアトリクスは首をかしげる。  さり気なくアルヴィスとの出会いについて探りを入れてみたのだが……この反応から察するに、まだ彼とは出会っていないのだろうか? 「いえ、その……例えば、誰か仲がいい人ができたとか。お嬢様に新しいご友人ができれば、旦那様も私もとりあえず一安心なので……」 「ああ、そう言えば……」  ベアトリクスは一瞬考え込むと、思い出したように話を続けた。 「最近、知り合った方がいるのですが……その方から、何故か求婚されましたわ」  その言葉を聞いて、俺は確信する。  ベアトリクスが言っている相手は、きっとアルヴィスだろう。  やはり、小説の展開通り彼女は運命の相手と出会い、溺愛された末に結婚するのだ。 「頭が切れて、冷静沈着で、しかも美形だけどちょっと強面な方なので周囲からは冷酷な人だと誤解されているみたいですけれど……実は、とても気さくで面白い方ですのよ。ちょっぴりドジなところもありますし……」  アルヴィスとのやり取りを思い出しながら、ベアトリクスは彼と出会った経緯を語ってくれる。  楽しそうに話している彼女を見ると、何故か胸が苦しくなる。  つい先日も同じような気持ちになったが、今回はさらに胸が苦しい。  やはり、主人に対して情が湧きすぎたか? そりゃあ、六年も一緒にいたんだもんな……。  そんなふうに自問自答しているうちに、俺はようやく自分の本心に気付いた。  ──いや、違う。これは紛れもない『嫉妬』だ。俺は、二人の仲がこれ以上進展することを望んでいないんだ。  とはいえ、今さら気付いても遅いだろう。いや……身分が違いすぎて、それ以前の問題か。  やはり、この気持ちは封印するべき……というか、墓場まで持っていく秘密にしなければ。 「……でも、丁重にお断りさせていただきました」 「ど、どうしてですか!? だって、相手はあのハースト公爵なんでしょう!? 結婚相手として申し分ないお方じゃないですか! ……ジョシュア王太子殿下の態度は、私から見てもかなり手厳しいように感じました! だから、いっそのこと王太子殿下との婚約を辞退して、気の合うハースト公爵からの求婚を承諾したほうがいいと思います!!」  矢継ぎ早に自分の意見を伝えると、ベアトリクスは首を横に振った。 「それでも……わたくしは、どうしても王都に戻らなければならないのです」 「それは、ジョシュア様のためですか……? だったら、あんな男のために尽くす必要なんてありませんよ! この際だから、本当のことを伝えさせてもらいますけれど……あの男、ティルシー嬢と一緒になりたいがためにお嬢様を罠にはめようとしていたんですよ!? 今までは、お嬢様を傷つけないように黙っていましたけれど……お嬢様の将来に関わることなら、真実をお伝えしないわけにはいきません!」  つい、語気が荒くなって真実を伝えてしまう。  すると、ベアトリクスは全てを悟ったような表情で俺のほうに向き直った。 「そんなこと、とっくに知っていましたわ」 「なっ……! それなら、どうして……!?」  わけがわからなかった。  ジョシュアの真意に気付いていたのに、何故ベアトリクスは王都に戻ろうとするのだろう。  彼女があえて『鈍感なポジティブ令嬢』を演じてまでそうする理由は何だ……?  そう考えていると、ベアトリクスが強い口調で言い放った。 「王都に戻らないと、レオンに会えないからです!!」 「……!」  俺は言葉に詰まった。 「王都に居さえすれば、王妃になったとしてもきっと会いに行けるでしょう。でも……もし王都を追放されて出入り禁止になったら、もう二度と大好きなレオンに会えなくなってしまいます。……だから、わたくしは意地でも王都に戻りたかったのです」 「お嬢様……?」 「わたくしが一番欲しいのは、将来有望な王太子との結婚でも、名家の当主である公爵との結婚でもなく……たった一人の大切な執事と笑い合って過ごす平穏な日々なのです!!」  そこまで言われて、初めて気づく。  きっと、ベアトリクスも俺と同じ気持ちなのだろう。  ふと、小説の展開のことが頭によぎる。  例えば、ここで俺がベアトリクスを攫ったとしたら──やっぱり、物語の強制力が働いて上手くいかなくなるのだろうか。 「ご……ごめんなさい、レオン。突然、こんなことを言われても困りますわよね……」  伏し目がちにそう言ったベアトリクスを見て、俺は決意を固める。 「……一緒に逃げましょう、お嬢様」 「レオン……?」  ベアトリクスの華奢な手を取った俺は、さらに言葉を続ける。 「たとえ、越えがたい身分の違いがあったとしても、俺はこれから先もずっとお嬢様のそばにいたいです。だから、逃げましょう。もちろん、お嬢様に全てを捨てる覚悟があればの話ですが……」 「レオン……」  ベアトリクスは再び俺の名前を呼ぶと、ゆっくりと頷いた。  俺は今、物語を歪曲させようとしている。  本来なら、それは正しい行いではないのかもしれない。  でも──  ──小説本編ではほとんど出番がないモブ執事と主人公の悪役令嬢が恋に落ち、駆け落ちをする……そんな展開があったとしても別にいいんじゃないか?  きっと……俺の行動次第で、未来はいくらでも変えられる。  この物語は、無限の可能性を秘めているのだ。  現に、(レオン)とベアトリクスが惹かれ合っている時点で、既に展開が変わっているわけだしな。 「ごめんなさい、レオン。なるべくあなたに心配や迷惑はかけないようにしよう、と心に決めていたのに……」  ベアトリクスの言葉を聞いた瞬間、不意に琴音の顔が頭に浮かんだ。  琴音も、俺に心配や迷惑をかけたくないからという理由で、多少無理をしてでもポジティブに振る舞っていたのだろうか……?  ん……? ちょっと待てよ。琴音とベアトリクスは性格がよく似ている。  そして、恐らく彼女は俺と一緒に交通事故に遭った時に死んだ。  もしかすると、彼女の正体は────  ……いや、今はそんなことはどうでもいいか。  二人の身分の差、これからの生活のこと、待ち受けているであろう苦難の数々。  俺達が抱えている問題は山積みだ。それに、ベアトリクスを幸せにできる保障もない。  でも……俺は、好きでもない相手と結婚して後悔するベアトリクスを見たくない。  だから、ベアトリクスの望みを叶えよう。彼女が望む限り、そばに居続けよう。  ──悪役令嬢ベアトリクスの執事ではなく、レオン・アルダーソンという一人の男として。 「迷惑だなんて、とんでもない。むしろ、本望ですよ」  そう返すと、ベアトリクスは嬉しそうに──そして少し照れくさそうに微笑んだ。  俺はおもむろに彼女の前に跪くと、その白い手にそっと口づけをした。
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