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果たして、そこに立っていたのは、夫である、修治であった。
スラリと高い背に眼鏡をかけ、青白い細顔には、無精髭を生やしている。
「何だ、アンタか・・。」
叶恵はそう言うと、踵を返して再び椅子に座った。
「久しぶりに帰ってきたのに、そんな言い方あるか〜?」
入口に入ってきて、修治が不服そうに言う。
「いつも、久しぶりだから、そのうち誰だか分からなくなるかもよ。」
叶恵が横目をして、嫌味を言った。
「まだ、認知症になるには、早いだろ。」
更に、修治が言い返してくる。
このまま言い合いを続けても仕方ないと悟った叶恵が、話を切り替えた。
「・・で? 今日は、どうしたの? こんな昼間に帰ってくるなんて、珍しいね。」
「一つの研究が終わって、区切りが出来たから、帰ってきたんだよ。」
修治の強い返答が返ってくる。
「あ〜、そう。」
叶恵は、無愛想に言った。
その時いきなり修治が、持っていた細長い箱を差し出してくる。
それを見て、叶恵が問いかけた。
「何、これ?」
フン、と言ってもう一度差し出してきた箱を、叶恵は仕方なく手に取る。
15cmぐらいの細長い箱は、これが何であるのか、叶恵には検討もつかなかった。
考えても分からなかったので、叶恵は再度尋ねてみる。
「は? 何これ?」
ぶっきらぼうな態度で、修治が告げた。
「今月、お前の誕生日だろ。今日帰って来れたから、今渡しておく。」
突然そう言われて、更に理解出来なくなった叶恵は、戸惑いはじめる。
「え⁈ 私の⁈ ・・あ、いやいや、イイよ〜。こんなの、要らないよ〜。」
叶恵は、とにかくどうして良いか分からずに、とりあえず拒絶した。
すると修治の方も、もちろん受け取らずに、言い返す。
「とりあえず良いから、受け取っておけよ。大したモノじゃないし、気を遣う程のモノでもない。ちょっとした誕生日祝いだ。」
「え〜! 何で、こんな事するのよ〜! 今まで一度も、誕生日に買ってくれたりした事ないのに〜! 春先で、頭ヤラれたの⁈」
困惑する叶恵は、必死に拒否的態度を示した。
「研究所で働く、頭脳明晰な俺に向かって、頭ヤラれたとは酷い言い方だな! とにかく、箱を開けて見るだけ、見ろよ!」
修治にそう言われて、凄く居心地の悪い叶恵は、他に手段も浮かばず、とりあえず箱を開けてみる事にする。
簡単な包装を取り、その箱を開けてみると、中に入っていたのは、桜色した腕時計だった。
叶恵は、その腕時計を箱から取り出しながら、思わず口に出す。
「可愛い・・。」
言い捨てるような言い方で、修治が付け加えた。
「お前、確か前に、腕時計を欲しがっていただろ? 誕生日月が春だから、桜色が良いかな〜ってな。でも、ブランドの腕時計じゃないぞ。俺は、ブランドをよく知らないし・・。」
黙ったまま、その腕時計を眺めている叶恵。
「まあ、お前にやったモノは、お前がどうしようと勝手だ。気に入らなければ捨てようと、質に出そうと好きにすればいい。」
修治は、そう言い残して、居間の方へと上がっていく。
その背後から修治の背中へ、聞こえるかどうか分からない程、小さい叶恵の声が微かにした。
「・・・あ、ありがとう。」
修治は振り返りもせず、もちろん返事もなく、居間に上がって戸を閉めたのだった。
桜色のその腕時計を手の平に乗せて、叶恵はいつまでも見つめていた。
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