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その間、松田は武道場の端にぶら下げられた、サンドバッグを目の前に、立っていた。
黒い本革で出来た、重さ100kgはあろうかという大きなサンドバッグが天井から吊り下げられている。
まるで、やる気のない江戸川と、痛めたらしい首と腕を回しながらストレッチしている昌也が、静かに松田を見守った。
サンドバッグの長さと大きさに、負けてない体格の松田が、グローブも付けずに、身構える。
張り詰めた緊張の中、松田がフッと一息したかと思うと、固く握られた拳を左、右とサンドバッグ目掛けて打ち込んでいった。
その殴り込む音は、道場内に重く響き渡り、ドッシリと重量あるサンドバッグがグラグラと揺らされていく。
「凄ぇっ!」
江戸川が思わず声を発した。
昌也も、その迫力に息を呑む。
力強さとスピード、そしてコンビネーションを兼ね備えた松田のパンチは、容赦なくサンドバッグへと叩きつけられていった。
そのうち、松田の動きに合わせて、汗がほとばしる。
ズシン、ズシンという音が響き、まるで道場まで揺れているかのようだった。
それが何発目の打撃の時、撃ち放たれた松田のパンチにより、サンドバッグが激しく揺れたかと思うと、ドスンという物音がして、床へと落ちる。
大きなサンドバッグが、床に転がった。
「え? き、切れた⁈」
江戸川が、呻くように言う。
落ちたサンドバッグを見直すと、吊り下げていた鎖の方が衝撃に耐えられず切れてしまったようだ。
怖い顔した松田が、振り返って江戸川に指示する。
「江戸川! もっとしっかり、固定しておけ!」
「あ、はい! 後で直しておきます!」
江戸川の、良い返事が聞こえた。
タオルで汗を拭う松田。
その様子を、昌也はじっと見ていた。
そこで、松田が声をかけてくる。
「もう一人のお友達は、今日来れなかったんだな?」
昌也が、答えた。
「あ、ああ。貴志の事ですね。アイツは今日、バイトがあったし。それに、アイツはこんな格闘技みたいな事はやらないと思います。バスケですら、誘ってもやりませんから。」
「そうか。ま、仕方ないよな。」
松田は、笑顔で返す。
江戸川は、切れた鎖を手に取って、改めて見つめていた。
その時、けたたましく携帯電話が鳴り響く。
それに気がついた松田が、バッグの中から携帯電話を取った。
「お、待ってました!」
歓喜にも似た声をあげて、タオルを首にかけ、松田は電話に出る。
「おう! もしもし! ダグラスか! 連絡待ってたぞ!」
何やら、通話している松田。
その時、江戸川が、昌也を手招きして呼ぶ。
どうやら切れた鎖を直して、再びサンドバッグを吊り下げる作業を手伝えという事らしい。
端の方で、通話を続ける松田の声が聞こえた。
「・・うん。ダグラス。機密情報だという事は分かってる。分かっていて、お前に依頼しているんだ。」
昌也は、微かに聞こえるその深刻な声を耳にする。
程なくして電話を終わらせた松田が、江戸川の方へと足早にやってきた。
「江戸川。サンドバッグはもういいから、さっさと片付けろ。」
「え? まだ練習が・・。」
驚いて尋ねる江戸川だったが、緊迫した様子で睨み返す松田の雰囲気を察して、一つ返事をする。
「あ、はい。分かりました。」
何があったのか状況が分からずに、戸惑う昌也に対して、江戸川が促した。
「今日はもう、練習終わりだ。急ぎの仕事が入った。」
それだけ聞くと、昌也にはもう言い返す事は出来なかった。
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