目をつむっていても涙はこぼれるんだね

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一 パパがママと出会ったのは、大学1年の時 学内にあるチャペルの前だったらしい その日初めて礼拝に参加するママの 不安そうな様子を見てパパは声をかけた 振り向いたママの澄んだ瞳は光に反射して キラキラ輝いていた すごい綺麗な人だなというのがパパの第一印象だった けれど、そのことよりも、どこかほんわかした雰囲気を持つママに パパは一目惚れをした ママはママで、顔一面に優しさが溢れていたパパに惹かれ 当然のように二人は恋に落ちた ともに真面目だけが取り柄のような二人は 恋にも真面目で一生懸命で純粋だった お互いかけがえのない存在だから 大事に、大事にしたいと考えた その未熟な一生懸命さが故に 恋に賞味期限があることに気づかず いつしか お互いの感情にアザをつけるだけになっていた 卒業後、公務員となったパパと雑誌社に就職したママは 自然に距離が開き 別々の人生を歩き出していた そんな二人が再会したのは、大学時代の友人の結婚式だった 新郎の友人だったパパと新婦の友人だったママは 会場だったホテルのロビーで顔を合わせることとなった 26歳となっていた二人は、ともにまだ独身だったけれど 当時ママには恋人がいて 大学時代よりもさらに綺麗な大人の女性になっていた 公務員を辞め、民間企業に再就職して間もなく しかも、付き合っていた女性とも別れたばかりのパパにとって ママは少し遠い存在になっていた 友人の結婚式の間中ずっとママのことを考えていたパパは 駅へ向かって友達と歩くママの後ろ姿に声をかけた 「すみません。ちょっといいですか」 首を傾げるママをやや強引に公園に誘った ベンチに少し離れて座った二人 藍色から紫色に変わっていく東の空 パパはママの横顔に向けて、息を整えて一気に言った 「もう一度僕とやり直してくれないですか」 この機会を逃すと一生後悔すると思ったから言わずにはいられなかったパパ そんな言葉をどこかで予想していたのか、ママは何も答えなかったけれど 拒否もしなかった 二人が再会してから3カ月が経ち、諦めかけていたパパの元へ 突然ママから電話があった 恋人とちゃんと別れたから、もう一度やり直そうと パパは嬉し過ぎてすぐに言葉が出てこなかった 肝心なところで、いつもドジなパパ 「ダメ?」 ママの言葉に頭の血が一気に足元に落ちていく感覚になったパパ 「もちろん、その逆」 慌てて訂正し、再び二人は付き合うようになった 今度こそ、大切な人を失うことなく恋を成就させようと誓いあい 東京の中野で同棲を始めた パパは仕事に励みながらもママとの時間を何よりも大切にしていた ママも大好きな雑誌社で仕事を続けながら 休日に二人で過ごす時間をかけがえのないものと思っていた 1年後に二人は結婚し、その年に愛の結晶として産まれたのが私だった パパとママは私のことを心から愛してくれていた 家族にとって幸せな時間が続く中 新型コロナが日本でも流行し始めた 世界でも高い医療水準を持つ日本なら きっと抑え込めると思っていたけれど 政府の対応のまずさもあってコロナは蔓延し 社会的にも経済的にも大きな打撃となった 当然ながらパパの仕事にも、ママの仕事にも暗い影を落としたけれど 幸い仕事を失うことはなかった きっと大変だったと思うけど パパもママも家族を守るために一生懸命だった だから家族の幸せには変化はなかった 日曜日の夜、いつものように家族3人で夕食をとった ママは愛情の溢れた眼差しで私を見つめながら抱っこしてくれた いつもより少しだけ強めに 「ちょっと明日の仕事の準備をしてくるね」 パパにそう言って、ママは一人で2階にあがった それから3時間後、ママが部屋で亡くなっているのをパパが発見した 私が3歳の誕生日を迎えて間もなくだった 二 「行ってきまーす」  リビングのソファーでテレビを見ているパパに美香は声をかける。 「忘れ物ないか」  パパは一瞬だけこっちを見て言う。 「うん。ない」 「じゃあ、気をつけて」  飽きずに同じ会話を交わしているな、と思う。  でも、こんな、『いつもと変わらぬ日常』がすごく愛おしいものだということを美香は知っている。だから、パパも美香も、こんな何気ない会話にも毎日ちゃんと思いを込めて言っている。  美香はこの春に高校1年生の16歳になった。  玄関ドアを開けると、底のない澄み切った空が見えた。  駅まで歩いて約10分。美香は案外この距離感が好きだ。『ちょっと』何かを考えながら歩くには、ちょうどいい時間だから。幸い、細い道で車に注意する必要もない。たまに乱暴な運転の自転車が脇を通り過ぎて行くことはあるけれど。 学校のこと 勉強のこと 友達のこと 好きなアイドルのこと 最近できた『彼氏』のこと(まだパパには話してないけど) そんなパパのこと ん? ママのこと? ママのことを考えることは、ほとんどないかな 今はね だってママは今傍にいないし 本当は母娘喧嘩とか、激しいのを一度くらいして見たかったけどね。 ただ、今日は珍しく、そんなママのことを考えている。 なんでママはまだ幼かった私を残して一人で旅立っちゃったんだろう。遺書を残さなかったママの思いはどこにあったんだろう。 真面目過ぎたママは、愛することにふっと疲れてしまったのだろうか? 今までにも何度も何度も何度も考えたことだけど未だに答えなんて出てこない。いや、きっと一生わからないことなのかもしれない。 パパはわかっているのだろうか? 聞いたことはないけれど…。 どう生きていけばいいかなんて確信などどこにもないのではないかと、最近、美香は思う。 そんなママの夢を昨夜というか今朝見た。 「行ってきまーす」  リビングの中を見て声をかけたら、ソフアーに座るパパの横にママがいた。 「忘れ物ないか」  こっちを見てそう言ったのはパパだけど、隣にいたママが美香のほうを見て微笑んでいた。パパの部屋の机の上に置いてある写真立ての中のママと同じ顔。  その時私は、夢の中の出来事だとわかっていたけれど、ただただ嬉しくて泣いてしまった。そして、その瞬間に目が覚めた。でも、不思議に目に涙は浮かんでいなかった。  もう一度ママに会いたくて、改めてそっと目を閉じて見た。でも、そこにもうママはいなかった。 目をつむっているのに、涙が頬に流れ落ちた ママ? ママ? 目をつむっていても涙はこぼれるんだね
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