臨時収入

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 住宅ローンは残り十四年。今日の稼ぎも焼け石に水だ。  目覚めたばかりの雄一の顔は暗かった。まだ疲れも取れていないのに、満員電車と深夜まで続く仕事が待ち受けている。  七年前、お見合いの末、結婚を決めた。当時、妻も雄一も三十代後半で、どちらも初婚だった。  やがて息子が生まれ、思い切ってローンを組みマイホームを建てたのだが、その負担は想像以上だった。娘も生まれると生活はどんどん苦しくなった。  現在、四十代の雄一に出世の道が閉ざされていることは妻もとっくに知っている。五歳になる息子には欲しい玩具も自由に買ってやれないし、育児は妻に任せっきりだから、彼女にも苦労ばかりさせている。  なんとなく……離婚を考えているような気がしてならない。  夫婦喧嘩は年に一度くらい。不仲だとは思わないが、「妻が離婚を決意する瞬間」なんていう週刊誌の記事を目にすると、さすがにゾッとしてくる。  やはりお金がないのが問題だ。大金が欲しい。一億円、いや五千万でもいい。  銀行強盗でもやってみるか……。おいおい、この俺にできるはずがないだろ。ATMで十万円を下ろした時でさえ、緊張で手が汗ばんでしまったのだ。  下らない妄想はやめて、満員電車の心構えでもしたほうがいい。一時間はギュウギュウ詰めの電車に揺られるのだ。  朝食のトーストは消費期限が三日前だったが、しっかりトースターで焼いたから大丈夫だろう。  インスタントコーヒーの粉は袋の底で固くなっていたのをフォークでがりがり削ってカップに移した。貴重なお金で買った貴重な食料。捨てるなど考えられない。  コーヒーを飲み終えてから、酸味が異常に強かったことに気づく。袋を見れば製造年月日が印刷されているはずだが、見るのが怖くてそのまま棚に戻した。  まだ布団の中にいる妻に「行ってくる」と声をかけた。案の定、返事はない。眠っているのか、怒っているのか。  駅まで三十分のジョギングは、もう慣れている。  改札に向かう途中、見慣れたはずのコインロッカーが目に入った。トイレの入口の横にある、扉の数が十五個のコインロッカー。  その前に一人の男がいた。目深にかぶったニット帽とサングラス。真っ黒な口髭は、昔のイギリス紳士を連想させるほどたっぷりと蓄えられている。  男は一番上の扉をそっと閉めた。財布を取りだしコインを探していたが、駅の入口のほうをチラッと見ると、急に改札の方向へ駆け出し、姿を消した。  あれではロックが掛かっていないぞ。  駅の入口に目をやると、制服姿の警察官が来るのが見えた。  あいつ、何をやったんだ……? あれは付け髭? 変装?  そういえば銀行強盗がどこかの都市であったじゃないか。銃を持った男が二億円を強奪したとか。あの扉の向こうには札束が? いや、まさか……。  だけれど、もし大金があのコインロッカーに収まっているとしたら……。  雄一は警察官が姿を消すまで待ってから、トイレに行く振りをし、コインロッカーに近づいた。例の扉をそっと開け、中を調べてみた。  その五分後、青いスポーツバッグを片手に提げながら、自宅へと走る雄一の姿があった。  大量の札束のずっしりとした重量が、雄一の足取りを逆に軽くしていた。 「二億円強奪の銀行強盗犯、ついに逮捕」  ニュースサイトに記事が掲載されると、すぐに多数のコメントが投稿された。  犯人の男はいまだ黙秘を続け、依然として奪われた二億円の行方は不明のままであった。  さらに事件直前に襲撃を受け負傷した警察官のホルスターから消えた拳銃も見つかっていない。  その日の夜七時ごろ。男の子が父親を撃ち殺すという衝撃の事件が起こる。  見慣れないスポーツバッグが両親の寝室のベッドの下にあるのを見つけ、その側面のポケットの中に拳銃を発見した男の子は、パパが珍しく玩具を買ってきてくれたのだと舞い上がった。 「くらえ悪者。バーン、バーン」  ウキウキした様子で電卓のボタンを押し、ローンの残りの計算をしている大好きなパパの頭部に銃口を向け、西部一の腕利きガンマンになり切った男の子は引き金を引いたという。
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