ライブハウスの神様

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 ことの発端はワンマンツアーの初日。セットリストの前半を終え、ライブハウス全体が暗転しているときだった。  俺は機材の微調整を終えて次の曲に備えていると、フロアの後方に青白いぼんやりとした光が見える。よく目を凝らしてみると、それは白い服を着た女だった。長い黒髪が胸の下まで伸びている。 (随分と露骨だな。見ないほうが良さそう)  ライブハウスのステージからフロアにいるお客さん一人一人の顔は、正直あまり見えていない。演奏中はステージに照明が当たって眩しいし、暗転中はせいぜい人型の黒いシルエットが微かに見えるくらいだ。  そんな暗闇の中、今みたいに『なにか』がくっきりと浮かび上がって見えることがある。言ってしまうとそれはこの世のものではなくて、いわゆる幽霊ってやつ。  ライブハウスで怪奇現象に遭遇したという話は珍しくない。バンド仲間やライブに足を運ぶお客さんからも、そういった話はちらほら耳にする。  初めて楽屋でラップ音を聞いたときはビビっていたが、今では時折遭遇する怪奇現象にもすっかり慣れてしまった。それだけの場数を踏みながらそこまで売れていないのは悲しい現実だけれども。  できるだけ女の霊を視界に入れないようにしながらイントロのフレーズを弾き始めた。しかし次の瞬間、女のいる方向から目が離せなくなってしまう。  フロアの前列はリズムに合わせて激しくヘッドバンキングをし始める。それに合わせるように、女は長い髪を鞭のようにしならせて頭を振り始めたではないか。 「嘘だろ……」  マイクに声が拾われなかったのが、唯一の救いだった。 ◆ 「ユート今日後ろばっかり見てたじゃん。かわいい子でもいた?」  終演後の撤収作業をしていると、ボーカルのヒロが茶化すように声をかけてきた。 「いや、幽霊が見えたんだけどさ」 「げ、まじかよ。災難だったな」 「女の幽霊で。ヘドバンしてた」 「はぁ?」  眉をハの字に曲げたヒロの顔には、「お前頭大丈夫か」と書いてあるように見えた。言わなきゃよかった。 「まぁ気を取り直していこうぜ。ツアーは始まったばかりだ」 「そうだな」  これだけで終われば笑い話にできたのだが、そう上手く行ってはくれなかった。その後ツアーの全ての公演にそのヘドバン女の幽霊は現れ続け、やはり他のメンバーには見えていない。  直接危害を加えてくるわけではないし、ライブハウスの外で見かけることはない。パフォーマンスに支障がないようになんとか平静を保ってきたが、行く場所ごとに遭遇するもんだからさすがに参ってしまっていた。 ◆ 「で、話ってなんだよ。ユート」  ツアーの最終公演を控えて耐えかねた俺は、藁にも縋る思いで付き合いの長い先輩に相談してみることにした。 「その……こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないんですけど」  ツアーの初日でヘドバンをする女の幽霊が出たこと、その後もツアーの全ての公演に現れたこと、他のメンバーにはその女は見えていないこと。今までの経緯をひとしきり話し終わると、先輩は口を開いた。 「俺もそのヘドバン女見たことあるわ」 「え、本当ですか!?」 「まだインディーズの頃のツアーで全く同じ体験をしたよ。ただ不思議なことにさ、そのツアー以降ライブの動員が爆増してメジャーデビューできたんだよな」  いやー懐かしいわとつぶやいて、先輩はタバコの煙を吐き出した。 「次がファイナルだろ?そのヘドバン女煽ってみたら?案外ご利益あったりしてな」 「いやいや勘弁してくださいよ……」  そう言いつつも中々バンドが売れない現状はなんとか打破したい。この際神頼みでもなんでもやってやろうじゃないか。 ◆  ギターの重低音とテンポの速いドラムが身体の芯を震わせ、音圧に負けじと歓声をあげるオーディエンス。その声に応えるようにベースの弦を弾きながら、フロアの後ろの方にちらりと目をやった。――やっぱり今日もいるか。  暗闇の中でもはっきりと見えるそれを視界に捉えると、汗がこめかみから顎をつたってステージの床にぽたりと落ちた。  俺は意を決してイントロを奏でながら、声を張り上げフロアを煽る。今日も最後列にいるヘドバン女に届くように。 「お前らもっといけんだろぉぉぉ!!!」  歓声と共に突き上げられる拳。最後列では両手を挙げてメロイックサインを返すヘドバン女。  今まで長髪に隠れて見えなかったその顔には、満開の笑みが浮かんでいるのがはっきりと見えた。
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