一章

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二話「君にとっても僕にとっても」 「うっ……」  人生で一番惨めな瞬間は? そう聞かれたら私は迷わずに答えられる。 「うぇっ……うぅ……うぉ」  今この瞬間。二日酔いで吐いてる時。  頭痛すぎるのとダブルパンチで吐き気が止まらなくて、目の前のトイレに吐きまくる。なのに意識があるんだから救いようがない。  意識がなかったらここまで惨めには感じないのに……意識なかったらないでゲロ詰まって死んじゃう確率高くなるのか。それはそれで嫌だ。 「大丈夫そう?」 「大丈夫、じゃ……ない……うぇ」 「吐ききったならお水飲んで。ドアの前置いとくから」 「すみません……」  知らない人の家のトイレでゲロを吐きまくる。今この瞬間が人生で一番惨め。これを更新することはないって確信してる。ってか、これ以上惨めなことなんてもう御免こうむる。 「本当にすみません……大変申し訳ございません……切腹したい気持ちです」 「何その謝罪、斬新だね」  とりあえず吐ききって水をがぶ飲みして、あとは時間が解決してくれる。経験上知ってる。辛いのは今だけ。 「あの……ですね」 「雇うって話だよね? 詳しく説明するよ」 「その前に……ここは?」 「ここは僕の家。君が昨日飲んでた居酒屋の近く」 「大変申し訳ないのですが……居酒屋で飲んでた以降の記憶が全くなくて……そこから話してもらってもいいですか?」 「わーめんどうだね」  可愛い顔のまま毒吐いた。 「居酒屋で飲んでたら君が絡んできた。それで僕の連れが君と意気投合しちゃって近いからって理由だけで、なぜかそいつがこの家に君を連れてきた」 「その、お連れさんはどこに?」 「仕事行かなきゃって頭抱えながら出てったよ。あいつ、絶対会社で吐いてる」  私確か慶壱(けいいち)と飲んでたんだよね……? 慶壱に怒られてたのは覚えてるんだけど、この人のことなんて全く覚えてない。 「それで、雇うって話なんだけど。僕小説家してて、書いてる時は色んなことあと回しにしちゃうから手伝ってくれる人がほしかったんだ」 「小説家?」 「そう、小説家。四季(しき)さいって名前で活動してるよ」  四季さい? 今この人四季さいって言ったよね……? 「……ほ、んとに?」 「あはは、昨日と同じ反応してるよ」 「えっ……本当に四季さいなんですか?」 「うん。僕が四季さい。本名は稲嶺(いなみね)玄雅(げんが)ね」  男の人は気にせず説明の続きをしてるけど全く頭に入ってこない。入ってくるわけがない。  この人が……四季さい? あの四季さい? 本当に?  頭の中にははてなしか出てこない。 「心ここに在らずって感じだね。僕の話聞いてる?」 「いいえ全く」 「何それ酷い。そんなに真っ直ぐ答えられるとこっちが怒りにくくなっちゃう」 「本当にあなたが四季さいなんですか?」 「それってそんなに疑うこと?」  そりゃ疑うでしょうよ。  四季さいは鬼才という言葉で表現されるほどの実力者。四作目のあかねさすは去年末に実写映画化された。  ここ一年ほど新刊の発売がなくてどうしたんだろう、なんて心配してたのに……こんな元気そうな男が四季さいなの? 本当に? どんなにごちゃごちゃ考えたって結局最初の疑問に辿り着く。 「じゃあ、証拠見せてあげるからちょっと待ってて」  私が信じられないことを察したらしい。  男の人はさっき私が着替えた部屋から何か持ってくるらしい。  男の人、稲嶺さんと名乗ったあの人は私より年下に見えるけど……四季さいは年齢不詳だし、ありえなくはない。全然ありえるんだけど、目の前の人が本当に四季さいだとしたら若すぎない? 「はい、これ見て」  稲嶺さんは私の前に一冊のリングノートを置く。何の変哲もないただのリングノート。 「これは?」 「いいから見てみて」  言われるがままにノートをめくる。ぱらぱらとめくっていたら思わず手を止めてしまう。  タイトル案という言葉、たくさんの文字の羅列、時系列に性格、今現在の国の状態。 「これって……プロット?」 「正解。空が崩れても飛び出る穴はあるの初期段階のプロット。変わってる部分もたくさんあると思うよ」  主人公の宮慶(みやけ)の性格や出生、どんな役職を経験してきたのか。こと細かく宮慶の人生が書いてある。 「このプロットがあるってことは、僕が四季さいだってこと。信じてくれた?」  空が崩れても飛び出る穴はある。四季さいの三番目の作品で代表作と言われてる。  架空の国で主人公の宮慶が国の長である女王に歯向かうお話。  最初の一文から最後の一文まで、四季さいの世界に引きずり込まれる。そんな作品。 「君は僕のファンなんでしょ?」 「……えっ?」 「昨日言ってたよ」  この人の……いや、先生の言う通り。私は四季さいのファン。  刊行した八作品全て読んでるし、実写化したあかねさすも映画館に見に行った。  四季さいの作品に出会って、私も小説家になりたい。そんな儚い夢を抱いて、目指して、翻弄してる時もあった。  夢を抱くぐらい、四季さいには大きな影響を受けた。 「あのさ、考えてるところ言い難いんだけど……」  私が先生にどう接すればいいかわからずに悩んでると、先生が申し訳なさそうに私に何かを渡してくる。 「多分、出た方がいいと思うよ……君にとっても僕にとっても悪い予感しかしないけど」  先生が渡してきたのは私のスマホ。どういうことだろうと思いつつ電源ボタンを押すと、先生の言葉の意味を一瞬で理解する。 「……うげぇ」  思わず声が漏れるぐらいに悪い予感がする。  妹たちからの大量のメッセージ。どこにいるの? 何してるの? なんて同じ言葉が何回も送られてる。  そして、慶壱からの鬼のような回数の不在着信。今もかかってきてる。  どんな要件かはすぐにわかるけど……はぁ、電話に出たくない。
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