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「ひゃっ」
私は小さく、情けない声を出して、お尻にキュッと力を込める。
(せめて……せめてこのお尻を硬くして、痴漢さんの好みのお尻でない感じで回避出来たら……)
そんな事になるわけないと自分で自分に脳内ツッコミを入れるものの、どう考えてもそれ以外の抵抗のしようがなかった。
(1限からの授業の日だけでなく、こんな週末の夜にまで痴漢に遭うなんて悲しすぎるよ!!)
私は両目をギュッと閉じて全身を硬くプルプルと震わせながら、降りる駅がアナウンスされるまでの数分間絶え間なく続くお尻への愛撫にただただ耐えるしかない。
満員電車内で、必ずと言っていいほどお尻を撫で回される。
これも、私の日常の一つだった。
「はあっ……はあっ……!!」
数分間の痴漢行為に耐えた私は、最寄駅の改札を通るなり駅前商店街の中を一直線に駆け出す。
「っ……っはあぁっ!!」
日中は穏やかな陽の光に包まれ地元の人達に愛されている昔ながらのアーケード街。
けれども23時をとうに過ぎたこの中は真っ暗闇のトンネルの中に突入していくみたいで、自分の足音も不気味に大きく響き、私の中の恐怖心が増す。
「ゆうきさん……ゆうきさん…っ!!」
私は必死にその人の名前を呪文のように呟き、アーケードが丁度途切れた場所に建つ店の前まで走った。
そこは、私のバイト先であり修行先でもある珈琲豆専門店『After The Rain』———「雨上がり」の名を冠する店だ。
「っはあ……はあ……はあ……」
当たり前の事だけど、店にはシャッターが閉められていて、勝手口からの灯りも漏れてない。
「もう……寝ちゃったよね?」
私は確認するまでもない事を呟き、そこから斜め左上側へ視線を移しながら部屋の窓の色を確認する。
私が目線を向けた、珈琲店隣に建つ「もりやま青果」の2階部分の窓は真っ暗で、その部屋で寝泊まりしている「ゆうきさん」が目を覚ましている気配は感じられなかった。
「迷惑かけてごめんなさい商店街の皆さん、夕紀さん……」
私は、バタバタと大きな足音を立ててアーケードの中を通過してしまった事をその場で謝り深々と頭を下げると、そこから徒歩5分の道のりをゆっくりと静かに歩いて帰宅した。
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