それでも見えた星

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「不思議だね。今真っ暗なところにいるってことがなぜか分かる」  手を繋ぎながら山道を共に歩くサツキがそう言った。  それは彼女にもまだ見えるものがあるという希望と捉えることができたし、やはり彼女は見えなくなってしまったのだなという絶望にも捉えることができた。  僕たち二人がこうして山道を歩いているのには理由があった。  3ヶ月前。  サツキは失明した。  サツキを失明させたのはとある事件であった。  彼女の絵の才能に嫉妬した女が起こした忌まわしき暴力事件。詳細を省かせてもらうが、あえて言うなら凄惨の一言であった。  サツキはそれによって両目の視力を失った。  いくら凄惨とは言え、暴力事件で失明にまで繋がるケースというのは珍しいが、そこの運もなかった。  不幸中の幸いなんてなかった。  不幸中の大不幸であった。  入院中の彼女をお見舞いに行った初めての日、彼女はイヤホンを耳につけて音楽を聴いていた。  入院する以前は音楽には微塵も興味を示していなかった彼女が音楽を聴いていた。 「聴きはじめると案外音楽しいいものだね。とりあえずクラシックから聴き始めて、最近はベートーヴェンにはまっている」  そうやって失明したことに絶望せず、既に前向きに行動をし始めているサツキのことを、彼女の両親や看護しているナースといった周囲は肯定的に捉えていたけれど、僕にはその姿が逆に痛々しく見えた。彼女は絶望していないのではなく、絶望を必死に隠しているだけのことがすぐに分かったからだ。  入院して2ヶ月。彼女はその絶望の片鱗を僕に零した。 「ねえ、どうしてベートーヴェンって耳が聞こえなくても音楽を作り続けたんだろうね」  僕は、どうしてだろうね、とだけ答える。彼女の質問に対して自分なりの持論を展開しても良かったのだが、サツキは何か自分で話したいことがあってこの質問をしたのだということを察したからだ。 「きっと彼にとっては聞こえていようと聞こえていなかろう変わりがなかったからだと思うの。音楽を愛しているということに変わりがなかったからだと思うの。聞こえていなくても音楽を愛し続けられる何かを彼は知っていたからだと思うの」  そしてサツキはこう続けた。 「でも私には無理そう。このまま絵を愛し続けるのは無理そう。見えない絵をどうやって愛すればいいのか私にはわからない。見えなくなったら愛することはできない」  僕はこれに対して、そうか、としか答えることができなかった。  本当はここでは慰めの言葉でもかけてあげるのが正しいのかもしれないけれど、僕にはできない。  自分が同じ立場であったら、きっと自分もそう思ってしまうからだ。 「正直、目が見えなくなることがここまで大変なことだとは思わなかった。文字通り世界の見え方が一気に変わったし、今まで好きだったものが急にどうでもいいものに感じるの。そのことがとても辛い。見えなくなる前までは大好きだったものが、見えなくなった程度で好きでなくなるのが辛い」  サツキはできるだけ自分の内に秘めた絶望を押さえるように、そう言った。  そして、 「いつかサトル君のことも好きじゃなくなっちゃうのかな?」  その一言は、まるで何かを零すかのような言い方であった。  目を瞑っているため実際のところはわからないが、その瞼の奥は赤く潤んでいることが想像された  こんな時は、サツキが僕のことを好きじゃなくなっても僕はサツキことをずっと好きでい続けるよ、なんてきざな言葉でも吐くのが正解とは分かっていたが、僕はそうしなかった。その代わりに、ある提案をした。 「サツキ、退院したらあの天文台に行こう」
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