9人が本棚に入れています
本棚に追加
1
ちゃぽんと水面に落ちた釣り針から、わんと波紋が広がる。あと一回だけ、と竿を投げて既に何回目だろう。
「釣れますか?」と見知らぬ人が声を掛けてくるが返せる言葉は「いえ全く。」しかない。
釣りを初めて数ヶ月。釣り場のポイントも竿を引くタイミングもよく分からない。かといって誰に聞くでもましてや本や動画で勉強する訳でもない。釣具店の店長に釣りの道具一式を揃えてもらって、ついでに餌の付け方とリールの巻取り方を教えて貰って、こうやって休みの度に湖にやってくる。
「あ、ほら引いてますよ。」
「あ、はい。」
慌ててリールを巻きとるが既に遅し。いや早すぎか?ワタワタしているうちに餌だけ持ってかれる。
「あー。」
「残念ばれちゃいましたね。」
見物人は本気で残念がってその場を去っていくが自分としては特に悔しくもない。むしろ煩いのが居なくなってほっとする。
餌に手を伸ばすと最後のミミズがか細い体をくねくねと拗らせている。
「俺なんかに買われてお前も災難だな。」
俺の憂さ晴らしのために買われたミミズ。ただただ魚に食われるためだけに針先にくっつけられるのだ。何がしかの成果、例えばイワナの一匹でも釣れたならまだ命の捨てがいもあるかもしれないのに。
俺なんかに買われたから。
手の中でくねるミミズが自分に見える。
もがいてもがいて結局手の中からは出られず、疲れて諦めてそれでも会社に行ってまたもがいて……。
地面の上でそっと手のひらをひっくり返す。もそりとミミズが動く。こいつは移動が遅い。だがもう夕暮れだ。干からびることもないだろう。
「命拾いしたな、お前。」
釣具を片付け始める。車に積み終えてミミズを探すとまだそこでのったりしていた。
最初のコメントを投稿しよう!