僕の嫁は夜目がきく

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 僕のお嫁さんは夜目がきく。これは駄洒落ではない。本当のことなんだ。  今から2か月前、僕は遠目家に婿入りした。遠目家は奥多摩の地に広大な私有地を持つ名家だった。極々平凡なサラリーマン家庭に育った僕なんかを婿に取って大丈夫なのか、僕はずいぶん心配だったけど、矢子に「今時そんなこと気にしてるの?」と笑い飛ばされた。  遠目家の住まいは、家というより屋敷だった。現代では珍しい一階建てなのだけれど、ぐるりと塀に囲まれ、大小合わせて二十はあるという部屋に、僕はまだその全てには立ち入ったことがない。回廊に囲まれた日本庭園は、ここは京都の歴史ある寺院かとか思わせるほど格調高く、今では矢子と早朝に散歩するのが日課になっている。  そんな立派な日本家屋の浴室はやっぱり豪勢で、屋内の湯舟のみならず、温泉旅館よろしく露天風呂まで設置されている。  夫婦生活一日目、僕はそわそわしながら風呂場に向かった。自分の実家や一人暮らししていたアパートの風呂とあまりにかけ離れた豪華さだから落ち着かなかった、ってわけじゃない。  この後、僕は矢子と夫婦になって初めて床を共にするわけで、妙に緊張してしまっていたのだ。  もちろん、矢子とは結婚前から何度も身体を重ねてきた。ただ、夫と妻としては初夜なわけで、どうしても意識せずにはいられなかった。  僕はいつもより念入りに身体を洗うぞ、と謎に意気込みながら脱衣室の扉を開いた。  そのときだった。  脱衣室の暗闇の中で、一瞬何かが蠢いた気配を感じた。けれど、至れり尽くせりなことにセンサーが入室を感知して自動で電気がつくと、そこには何もいなかった。学生時代、僕が初めて一人暮らししたときの安下宿のワンルームより確実に広い間取りがあるだけだった。  意識しすぎて敏感になっている、落ち着け、と僕は自分に言い聞かせて風呂に入った。  そして迎えた初夜。僕が「そろそろ寝ようか」とぎこちなく矢子に呼びかけると、矢子は準備をするから先に寝室に行ってほしいと言ってきた。  準備って何だろう、と一瞬だけ疑問が頭をよぎったけど、女性は色々あるんだろうと適当な回答を与え、布団の上で正座して矢子を待った。  心臓の鼓動が早くなっていくのが分かった。心拍ってこんなに身体の中でずんずん響いたっけ、と思いながら手をぎゅっと握ると、妙な汗をかいている。  こんなことではいかんとぶんぶん頭を振ると、すっと襖が開いて矢子が入ってきた。 「ごめん、待った、光太?」 「い、いや別に待ってないよ」  初デートの待ち合わせのような言葉を交わすと、僕の緊張は最高潮に達した。  童貞でもあるまいし何をそんなに身構えているんだ、と自分を落ち着かせようと深呼吸したとき、矢子が真剣な眼差しで僕を見つめた。 「ねえ、光太」 「な、何?」  僕はごくりと唾を呑んだ。 「ちょっと外に出ない?」 「へ?」  新婚初夜、僕たちはなぜか夜の森へと歩いていた。やがて木が生えていない狭い原っぱに出た。何でこんなところへ……。訝しむ僕の手を、矢子は「いいから来て」と引いていく。  街灯なんて大層なものはない。夜の帳が下りた野道を照らすのは月明かりだけである。そのせいで足元が凸凹している上によく見えず、何とも歩きづらいが、矢子は構わず進んでいく。  華奢な身体に反して頼もしいとも思えたけれど、やはり疑問は拭えない。  繰り返すが、今夜は新婚初夜である。 疑問符を張り付けた僕の顔を見て、矢子は意味ありげに微笑んだ。  その笑みを見て、僕の想像力はあらぬ方向へ飛び立った。  結婚前、矢子は特に性癖というものがなく、至ってノーマルなプレイをしてきた、つもりである。  だが、それは僕に遠慮していただけで、実は矢子は変わったプレイがお好きなのでは……? 「な、なあ、まさか、こんなところでするのか……?」 「うん。光太はびっくりするかもしれないけど。ずっと黙ってたから」 「いや、僕は、どんな君でも受け入れるよ」 「本当?嬉しい」  本当のところ、今までの淡白さと百八十度真逆のシチュエーションに、地球の裏側、たぶんリオデジャネイロあたりまで飛ばされたような気分だったけれども、僕も男である。  妻がそういうプレイをお望みなら、答えるのが夫の甲斐性ってやつではないだろうか。  僕は覚悟を決め、矢子をしっかりと抱き寄せた。  宵闇の中、矢子の瞳だけが薄ぼんやりと光って見えた。  僕は矢子の形の良い唇に吸い付こうとしたが、あと少しで唇が重なるというとき、突然押し倒された。 「伏せて!」 「矢子!?やっぱり僕、心の準備が……っ!」  僕は起き上がろうとじたばたしたが、頭上をひゅんと何かが掠めたとき、ぴたりと動きを止めた。 「今、何かいた……?」 「見えた?」  矢子の声は何かを期待しているような含みがあった。  だが、足元すら覚束ない月光の下では愛する妻の顔すらぼんやりとしか見えないのだ。ましてや高速で動く何かなど視認できるわけがない。 「ううん、見えなかった」 「でも存在を感じられるだけでも上出来だよ」 「何を言ってるの?」  僕が戸惑うが早いか、矢子は素早く身を起こすと右の手のひらを前方に突き出した。  すると手のひらから野球ボールくらいの光の玉が飛び出し、闇夜を切り裂いて進んでいったかと思うと、虚空を進む何かに当たって砕け散った。 「よし、当たった」  小さくガッツポーズをする矢子だったが、僕はすっかり置いてけぼりである。 「何、今のは?」 「あの子たち、夜になると出てくるの。でも、普通の人には見えない。せいぜい、何かいるって違和感を覚えるくらい」 「何を言ってるの?」  僕の疑問を半ば無視して、矢子は自らの目を指さした。 「これが、遠目家に代々伝わる力。闇に蠢く者たちを見つける目――夜目」 「夜目……?」  僕のお嫁さんは夜目がきく。それも、普通の夜目ではない。  僕の珍奇な婿入り生活は、劇的な初夜を以て幕を開けたのであった。
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