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1.
「この人物に見覚えはありますか」
外御原空悟巡査部長は若い女性の顔写真を示し、ベッドで身を起こす男に尋ねた。
消毒液の臭いが鼻をくすぐる病室。窓からは十一月の西日がほのかに差し込み、部屋の全体は穏やかなオレンジに染まっている。新しく取り換えられたであろう花瓶の花も瑞々しさを失いつつあった。
「いいえ、知りません」
男は穏やかに答えた。友人と話しているとさえ思えるほど、彼は落ち着き払って見える。縦長の顔に無精ひげを浮かべた初老のこの男は、病気故か隠せない疲労感を頬に表していた。白髪混じりの短髪は枯れかけた芝生のようである。
「あ、そうですか……」
外御原はそそくさと写真をジャンパーの胸ポケットにしまった。あっさりと引き下がったので、彼の後ろにいたスーツの女性巡査はたまらずといった様子で外御原に耳打ちする。
「何だよ淀沼……」
「もう少し聞いてみてもいいのでは?」
「だって覚えがないって言ってるから」
「そうですけど、もう少し粘ってみてもいいのでは……納豆みたいに。よくかき混ぜられた」
渋々という顔になりながら、外御原はベッドの男に質問を続ける。
「戸川勇さん。ではこちらの写真はどうですか?」
「こちらは……私が殺した女性ですね」
「ええ。大森佳恵さん。彼女は全身の何か所にも――」
「その話は、もう何度も話したはずですが」
外御原の言葉はその男――戸川勇に遮られた。彼はどこか、息苦しさを感じているようだった。
「もちろん調書は読みました。あなたが彼女を刺殺し、その後出頭。で、拘留中に病気が見つかって入院……あ、体調は大丈夫ですか? 悪いようなら出直しますが」
「構いません……と言いたいですが、今日はちょっと疲れてしまって」
「では、また出直してきます。淀沼、行こう」
「……はい」
外御原たちを見送る戸川の目線は最後まで柔らかだった。長年勤めていた企業を定年退職し、余生を過ごしている好々爺が持つ雰囲気すら感じられる。しかし彼が殺人で逮捕され、拘留執行を停止され入院している人間だと知ったら、誰もが驚くだろう。
戸川は手を伸ばして窓のカーテンを閉める。まだ地平線から伸びている日差しが遮られ、病室はうっすらと影を落とした。
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