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「お肉と野菜とその他もろもろ……、と。うん、これで全部よね」 「多分」  シイは俺が抱える袋から顔を上げた。 街はすっかり暗くなり、辺りを照らすものは街灯と建物から漏れる光だけになった。すれ違う人の数も次第に減り、俺とシイが買い物を終えた頃には、誰もいなくなっていた。  シイは紙袋と自分の手元の紙をもう一度見比べると、小さな声でよし、と口を結んだ。 「それじゃあ行きましょうか」 「ああ。それで、さっき言ってた候補ってどこのことなんだ?」 「行ってからのお楽しみ。……と言っても、なんとなく想像はついてそうだけど」 「まあ、ある程度は」  シイは何度か大げさに頷くと、 「行きましょう」 と少し早足で歩きだした。食材の入った紙袋が、危うく重みで滑り落ちそうになった。  しばらく進むと街灯以外の明かりはなくなり、辺りの闇が濃くなった。そのせいか、周囲の音が先ほどまでよりはっきりと聞こえてくる。なんとなく、不気味な雰囲気だった。感覚が過敏になる中、隣で髪を揺らす少女は相変わらず楽しそうな笑みを浮かべている。周囲の雰囲気になど目もくれていないようだった。空を見上げると、暗闇に浮かぶ星がより明るく見えた。 「星ってどうやって光ってるのかしらね」  ふと、シイがそんなことを言った。声のほうに目をやると、彼女も空を見上げていた。 「考えたことないな」 「そうなの?てっきりユウも同じことを思っているのかと思った」 「いや、なんとなく見てただけだ」 シイは噴き出すように笑った。俺はシイほど思慮が深くないから、という言葉が、喉元で止まった。 「何故笑う?」 「ごめんなさい。確かにそっちのほうがユウっぽいなって」 「褒め……てはなさそうだな」 「そんなこともないわ。こういう時、私はいつも余計なことを考えてしまうけれど、ユウはいつだって純粋にそれそのものを見ているもの。きっとユウの見ている景色は、私のよりもずっと綺麗に違いないわ」  シイは再び空を見上げた。いつもと変わらぬ楽しげな表情。しかし、そこには得体のしれない何かが潜んでいるように感じられた。彼女と一緒にいるとたまに感じる違和感。それが何かはいまだに分からない。そんな彼女を見ていると、形容しようのない感覚に襲われる。 「景色なんて誰が見ても変わらん気がするけどな。それに、俺は考えてものを見れるほうがだいぶ立派だと思う」 「それは褒めてくれてるのよね」 「それはもう」  シイはくすくすと笑って、ありがとう、と言った。 そんなことを話しているうちに、目的地が見えてきた。それは予想通り、白い塔と呼ばれている、この街で一番高い建物だった。 「相変わらず大きいわね」 「そういえば、これをこんなに近くで見るのは初めてかもしれない」 「そうなの?」 「うん、シイはあるのか?」 「こっちの学校に来たときに何度かね」  シイは塔を見上げると、一度大きく息を吐いた。つられて俺も塔を見上げた。辺りが暗すぎるせいか、それは白と呼ぶには黒々しい雰囲気を纏っていた。 「なあ、なんか調べるにしても、暗すぎやしないか?」 「奇遇ね、私もちょうど同じことを思ったわ。どうしましょう」 「何もないのかよ」 シイは塔のほうを向いたまま、あはは、と笑った。 「まあせっかくだし、近くで見てみましょう」 「褒めたのは間違いだったかもしれないな」 「え、今何か言った?」 「何でもない」  何でもいいか。さっき遠回りに付き合ってもらった代わりということにしよう。 「足跡があるわね」 「ほんとだ。こんなところに来る人もいるのな」 「もしかしたら私たちと同じ考えの人かもしれないわね」  シイは辺りを見渡した。今は俺たち以外に人影はないが、音が聞こえた直後はここを調べに誰か来たのかもしれない。土の上に残った足跡は一つのものだけではなく、それらは塔の周りを行ったり来たりしていた。 「まあここくらいしかそれっぽい場所もないか」 「そうね、強いて言えば教会とか、あとは学校も可能性としてはないこともないけれど、それなら皆知っていそうなものだし」 「あー、言われてみれば教会もあったな」 「ユウは教会にはあまり行かなそうね」 「行かないな。シイは行くのか?」 「たまに行くわ。教会の中はとても静かで落ち着くから、私は好き」  シイは塔の壁に手を置いた。壁面の見た目は思ったより滑らかで、何で作られたものなのか、一見しただけでは分からなかった。 「ねえ、ユウは知ってる?この塔の噂」 「噂?」 「うん。この塔は随分昔からあるらしいけど、ここに学校を建てようとしたときに壊そうとしたみたいなの。だけど、どんな方法を使ってもこの塔を壊すことができなかったんだって」 「どんな方法を使ってもって……、魔法でも?」 「そう、魔法でも。傷一つつかなかったみたい。結局学校はこの近くに建てられたけれど、今でもこの塔を壊す方法は見つかっていないそうよ」 「へー、それはそれは」  この手の話には疎いが、少しそそられるものがあった。絶対に壊すことのできない塔。壊せないどころか傷もつかないということは、触れることもできないのだろうか。壁に手を置いたまま塔を見上げているシイを横目に、俺も壁に手を伸ばしてみた。 「ユウ!」  突然、名前を呼ばれたような気がした。耳からではなく、直接頭に響いたような感覚だった。シイのものではない、けれど、聞いたことのある声だった。振り返ると、こちらに向かって走ってくる二つの人影があった。それらは俺たちに近づくにつれペースを落とし、片方は、 「やあ」 と困ったような顔で右手をあげて立ち止まり、もう片方は激しく息を切らしながら膝に手をついていた。 「あら、ゼトにエルじゃない」 「どうしたんだこんなところで」 「それはどちらかといえば僕の台詞なんだけど……」  ゼトは息を切らしているエルの背中を見て肩をすくめた。  しばらく待つと、エルはふう、と大きく息を吐いて膝のあたりを手で払い、顔をあげた。 「大丈夫?」 「うん……疲れた」  エルは再び大きく息を吐いた。 「えらく急いできたな。何かあったのか?」 「……」  至極当然のことを聞いたつもりだったが、何故かエルは顎に手を当てて何やら考え始めた。 「え、理由ないの?」 「まあまあ。久しぶりに見かけたから無意識に走っちゃったんじゃないかな」 「……まあいいけど。お前らもこの塔を見に来たのか?」 「いや、僕は学校に用があってね。エルとはさっき偶然会って、話をしてたら君たちが塔のほうに歩いていくのを見かけたんだ」  最初は気にしてなさそうだったのに、急に走り出すものだからびっくりしたよ、とゼトは涼しげな表情でエルに目を向けた。エルは何とも言えない顔でゼトのほうを見上げている。 「ふーん、相変わらず仲がいいんだなお前らは」 「君たちだけには言われたくないけどね。それはそうと、君たちはこんなところで何をしているの?」 「俺もシイの付き添いだ。ちょっと前に鐘みたいな大きい音が鳴ったろ」 「ああ、そういえば鳴ってたね。僕は学校の中にいたからそれほどだったけど。ああ、なるほど。それでここか」  ゼトは塔を見上げた。やはり、候補としてこの塔が浮かぶのは妥当だったらしい。 「別に急いでくる必要もない気もするが、シイが行きたがって。……ってあれ、どこいった?」 「あそこ」  エルが指さしたほうを見ると、少し離れた場所でシイが塔を見上げていた。 「あいつも物好きだな」 「シイってあんなに好奇心旺盛だったっけ」 「それは俺も思った。昔は割とはしゃいでいた気もするけど」  最近はどちらかと言えばその容姿も相まって、淑やかだの大人っぽいだのという評価を多く聞く。普段はどうでもいい話をしたりもするから口数が少ないわけではないのだろうが、普段彼女は本を読んでいることが多いため、そういう見方のほうが強いのも納得がいった。 「まあなんにせよ、楽しそうで何よりだ」 「まったくだね。でもあれじゃ暗くて何も分からないんじゃないかな」  せっかくだし、ちょっとだけ照らしてみようかな、とゼトは塔のほうに手を伸ばし、エルのほうに一瞬目配せした。エルは軽く肩をすくめ、俺の腕をとった。 「え、何?」 「こっち」  エルは俺の腕を引っ張った。意外と強い力だった。 「何かするのか?」 「見てればわかる」  エルはゼトから少し離れた場所で立ち止まった。  ゼトは俺たちを確認すると、一度指を鳴らした。空気をはじく軽い音とともに、空気の流れが変わったような気がした。一瞬、体が軽くなったような感覚がする。少し甘い匂いが鼻をくすぐる。何の匂いかは分からないが、それらはゼトのほうに集まっているようだった。  気づけば、ゼトの周りに、いくつかの光の玉が浮いていた。緑色の大小さまざまなそれらはゼトの周りを離れると、空に向かってゆっくりと浮いて行った。 「わ、きれい」  いつのまにかゼトのそばにいたシイが驚いた声を上げているのが聞こえた。確かに、闇色に染まった景色の中に浮かぶそれは、とても幻想的に見えた。 「……ああ、これが魔法か」  エルは不思議そうな顔で俺を見た。 「ユウは魔法、見たことないの?」 「ないけど、そんな意外か?」 「別に……、そっか」  エルは何か納得したのか、すぐに目を背けた。  塔の周りで揺らめいていた玉は、やがて闇の中に溶けて消えた。あたりには数刻前の形式が戻っていた。 「どう、何か分かった?」 「ごめんなさい、明かりに見とれてしまっていたわ」  シイは困ったように微笑んでいた。ゼトはそんなシイを見て頭を掻いた。 「まあ、あんまり明るく照らせなかったしね」 「とても綺麗だった。ゼトはすごいね」  「そう?」 「ええ、とっても」  シイとゼトは笑い合っていた。先の余韻のせいか、二人のその姿は、とても 「妬いてる?」 「誰が?」 「ユウが」  エルは二人のほうを向いたままだった。 「どちらかと言えばそれはエルのほうじゃないのか」 「……どうして?」 「なんとなく」  エルは少し考えるそぶりを見せたあと、静かに首を振った。 「わからない」 「それは張り合いのないことで」  さっき、店でシイがつまらないと言っていた理由がわかった気がした。 「何の話をしているの?」  いつの間にか、シイとゼトが近くに来ていた。 「いや、なんでも」 「そう……、あ、そうだエル。さっきパン屋のおじさんがエルのことを探していたけれど、行かなくて大丈夫だったの?」 「ああ、そういやそんなこと言ってたな」 「これから行く。行こ」  そう言うと、エルは俺たちの返事を聞こうとせず歩き出した。        
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