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ばあちゃん=かあちゃん
フェリーを下りると、桟橋に祖母が迎えに来ていた。祖母は私の姿を見て、
「大きくなったねえ」と言った。
祖母の家、つまり父の実家はフェリーで一時間あまりを要する離島にあるので、なかなか気軽に会うことができない。正月以来だから、およそ七か月ぶりになる。
当時私は小学一年生だったので、自覚はなくとも半年あまりでいくらか身長が伸びていたのだろう。
続いて、ボストンバッグを持った父がフェリーから降りて来た。
父は祖母に、
「ただいま」と言った。
祖母のすぐ横に、私の従兄の圭ちゃんが立っていた。圭ちゃんは私の父の兄(つまり私の叔父)の息子で、私のひとつ年上。
圭ちゃんは私に、
「おい、海パン持ってきたか?」と言った。
「うん」
「それじゃ、泳ぎに行くぞ」
そう言って島の港の切符売り場兼待合室がある建物のほうへ向かって走って行った。私はその後に続いた。
青い空には入道雲が、四段重ね五段重ねのアイスクリームのように水平線から盛り上がっている。港の堤防では、麦わら帽子をかぶってランニングシャツを着ている年輩の男性が、釣り竿の糸を垂らしていた。
圭ちゃんと私は、祖母の家に到着すると、さっそく服を全部脱ぎ捨てて水着に着替えた。水着とは言っても、学校のプールの授業で使うものだが。
そして、浮き輪を持ちサンダルを履いて浜辺へ向かった。
祖母は私たちを見送りながら、
「あんまり沖には行ったらいかんよ」と言った。
離島の浜辺には、海水浴をしている人はひとりもいない。きちんと管理された海水浴場とは違って、浜には乾燥した海藻が打ち上げられてたり、踏めば痛いであろう大きくいびつな形をした石が転がっていたりする。
海に入ると、真夏と言えども海の水は軽く肌を刺激するほどに冷たい。そしてその冷たさが、夏の日光をため込んだ肌には、なんとも気持ちよかった。
私は圭ちゃんとひとつの浮き輪を奪い合ったり、クロールで競争をしたりしながら、海で遊んだ。
疲れると浜に上がって、アニメや最近買ってもらったゲームソフトについて話したりしていた。
そうやってどれくらい遊んだだろうか、おそらく二時間か三時間くらいだと思う。空高い太陽もにわかに傾いていた。
私たちはさすがに遊び疲れて、そろそろ帰ろうということになった。
「たぶん帰ったら、ばあんちゃんがスイカ切ってくれるぞ」と圭ちゃんが言った。
祖母の家に到着すると、引き戸の玄関は開いたままになっていた。
三和土でサンダルを脱いで、廊下に上がる。
左手の和室から、会話をしている声が聞こえてきた。
「かあちゃんは、何歳になった?」私の父の声だった。
「わたしも今年で、もう六十八よ」続いて、祖母の声。
父も祖母も、私たちが帰ってきたことには気づいていないようだった。
「はや、そんなになるんか」父の声は扇風機を隔てているのか、かすかにふるえて聞こえる。
「あっと言う間じゃ。つい最近まで、あんたらが子供じゃったのに。孫の姿見とったら、子供のときのあんたらそっくりじゃね」
圭ちゃんが和室に入って、
「ただいま」と元気よく言った。
「あら、帰ってきたんかね」と祖母が言う。そして、「お風呂場に言って、潮を流してきい」と言って立ち上がった。
私たちは風呂場に向かった。
風呂場の水道水で身体を流しながら、なぜ父は祖母のことを「かあちゃん」と呼んだのだろう、ということを考えていた。「かあちゃん」とは私の母、つまり父の配偶者のことではないか。
父は祖母のことを、常に「ばあちゃん」と呼んでいる。それがなぜ急に「かあちゃん」になったのだろう。
実はその歳まで私は、「ばあちゃん」という言葉は、世界で唯一、私のばあちゃんのみを指し示すものと思い込んでいた。つまり、ばあちゃんは父にとっても「ばあちゃん」なのだと。いま思うと、ずいぶんナイーブだったと思う。
しばらく考え、ようやく私は「ばあちゃん」は父にとっては「かあちゃん」なのだろうか、ということに思い至った。つまり、祖母と父は親子という関係にある、と。
そのことを圭ちゃんに言ってみると、
「当たり前だろ、何言ってるんだ」と多少馬鹿にするような口調で言った。
風呂場から出てTシャツに着替えると、私たちは台所に呼ばれて、並んでスイカを食べた。
「とうちゃんのかあちゃんが、ばあちゃん」という気付きは、私にとって軽い衝撃だった。
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