密室

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密室

 客とはあまり目を合わせないことにしているのか、青船の管理人はフードを目深にかぶった年嵩の男性で、鉄の棒の先に赤いランタンを携えて歩いてきた。  ランタンを先が鈎になっている棒を使って器用に赤と青とをかけかえると、床に置いたままになっていた戸板を持ち上げ船との間に渡すと、ヴァルに向かい両手の指をそれぞれ立てて合図してきた。 (3? 1?)  腕の中から苦し気に荒い息を漏らしながらヴィティスがやり取りを気にしていると、慣れた調子でヴァルが『3だ』と答えながらポケットからぐしゃぐしゃの札を少し多めに取り出して男に押し付けるようにして渡していた。  3は三刻、1は一晩。そんな違いも知らぬヴィティスが熱く硬いヴァルの胸板に頭を預けていると、彼は勢いよく戸板に一歩を踏み出した。  戸板は意外と薄くて二人の体重がかかるとぐにゃりと歪む。  一瞬沈んた視界にヴィティスがより強い力で齧りついてくるのをヴァルはその背を摩ってやりながら船の扉を開いて一気に中へと飛び降りるように入っていった。ヴァルの勢いで船が揺れ、ヴィティスは小さく悲鳴を上げた。  中は船というより小さな寝室だけの部屋といった雰囲気だ。  下が運河に浮かんでいる船であり、動力はなく、上に小屋が付いたようなそんな感じだ。  小さいながらも寝台が置かれていて、高級宿とまではいかないが思ったほど妖しくはない。  ただもう日が暮れた時間帯なので小屋の天井近くから漏れる運河の街灯の明かりぐらいしかなく互いの表情すら暗くて分かりづらかった。  ヴァルは寝台の上にヴィティスをゆっくりと降ろすと、彼の身体を覆うようにのしかかってきた。  びくっと震えるヴィティスを尻目に、長い腕で枕元に引っ掛けてあった懐中式に近い灯りをともしてやる。  不安に潤んだ瞳と目が合ったから、ヴァルは額の汗をぬぐいながらも少し掠れた色気ある声を出した。 「俺は怯えてる相手にいきなり襲い掛かるようなケダモノじゃないぞ」  ヴィティスの美しい顔に乱れ降りかかった髪を後ろへ流してやりながら、ヴァルは冗談めかした風を装い、何とか余裕ありげに装うと立ちあがった。 「怯えてなんか、ない」 「無理すんな」  勝ち気さも慣れてくると可愛いものだと感じたのは彼はヴァルより一つ年下だからだ。そこここに幼さが目立つのはそのせいだろう。  ヴァルは苦しい中でもヴィティスの為に優しく微笑んでから距離を置くと、すぐに戸口のところまで戻ってきて、ふーふーっと息を整える。  ここまでの高まりを覚えたら収めるのは至難の業だが、流石にこのまま街中を走り回るわけにはいかなかった。  試合前の精神統一の為の呼吸法を繰り返して平常心を保とうとするが、ヴィティスの濃厚に甘い欲望を刺激する香りを嗅いだままでは、とてもうまくはいかなさそうだ。  そのまま川風を中に入れようと扉を開けると火照った身体に冷たい湿った風が吹き込んできていくらかましになった。  戸板はすでに外された後だったが、船の縁を蹴りつければ、長身で俊敏なヴァルの跳躍力を持ってしたら何とか岸辺まで飛び越えて行けるだろう。 (どうせこれ、すぐには治まんないから今すぐ距離を取って、運河歩いている間に収まったらまず大通りに出て店を探す。まだギリギリ薬局やってる時間か? それより兄貴に連絡とって助けてもらうか。いや……。冷静に考えてみたら交番に駆け込むのが手っ取り早いな。緊急の抑制剤置いてあるだろ)  ヴァルの父はベータだ。  そのため、同じくアルファ性を持つ警官で叔父のジルからアルファとしての心得と、何かあった場合は交番に駆け込むように教えられ育ってきた。 「ヴィティス。俺は一度船から降りる。抑制剤持ってきてやるから、お前はここ閉めたら中から鍵かけて隠れてろよ? 誰か来ても、俺以外には絶対応じるな。一刻以内に絶対に戻る。いいか?」 「あ……。はあ、はあっ、うああ……っ!」  乱れた呼吸音に振り返るとヴィティスの様子がおかしくなっていた。  首の金の環をかきむしりながら、ぜいぜい、はあはあと苦し気に呼吸を繰り返す。 「ヴィティス?! 大丈夫か?」  暗闇、プレッシャー、そして首の環の締め付けに心細いこの状態。  さらに置いて行かれるという精神的な不安が追い打ちをかけて、ヴィティスは過呼吸の発作を起こしているようだった。  同じように発作を起こした生徒を目の当たりにしたことがあったのが功を奏して症状にすぐあたりはついた。  ヴァルは船から飛び出すことを諦めてヴィティスの元に戻ると、彼を抱き上げてそのまま寝台の上に仰向けに横たわった。 「ヴィティス。腹で息しろ。無理なら吸ったら二回はけ。吸ったら、ふう、ふうってしろ」  敢えて胸だけで呼吸しにくい体勢にもち込み、縺れた長い髪越しに背中をゆったりと撫ぜてやりながら穏やかな声で耳元で囁く。 「はあ、んん。ふう、ふう、」  美しいヴィティスが身悶えながら吐いているとか思うと、ただの吐息すら妖艶で困る。  身体にヴィティスの高まりが当たり、艶めかしく衣服の上からでも適度な弾力が心地よい尻と足とがヴァルの身体に密着し、さらに苦し気な吐息が顔のすぐ下、胸の上で繰り返される。  先ほどまでにヴィティスの妖艶な美貌がありありと脳裏に浮かんで頭を離れず、思わずその甘美な身体をまさぐりそうになってしまうのを必死に理性で抑え込んだ。 (なんだこの、凄い拷問は……)  チョーカーを外したそうに無意識に首を掻きむしろうとするほっそりと長い指先を大きな手で包んでやると、必死に指先でぎゅ、ぎゅっとヴァルの手を握り返してきた。そんな稚い仕草が何故かひどく愛おしく感じた。 『ヴィティス・モルスは中央では知らぬ者もいない貴族名門の令息だが、少し変わり者の両親は地方の医療と地域の活性化のために田舎暮らしをしている』 そんな噂を耳にしたことがあるが、だとしたら彼は中央にも留学先にも一人で赴いていたことになる。  正直ヴァルは年齢的にも時には煩わしいと思うこともある家族だが、結局親元でぬくぬくと育ってきたことには変わりない。 (オメガのお前が親元を離れて一人で外国にもいっていたんだよな。今までも今日みたいにあんな風にしつこい奴らに絡まれたり、嫌なこと言われながらも頑張って片意地張って跳ね返してきたんだろうな)  そう思うと、苦し気に眉目を顰めこの腕の中で荒い呼吸を繰り返し、必死で生きている少年へ情が熱く湧いてきた。 「ヴィティス。お前、あんまり意地を張るな。頑張りすぎるな。そんなんじゃいつまでたっても呼吸が浅く、気分良く生きられないぞ。たまにはゆっくり大きく呼吸するんだ」 「……」  返事の代わりにもう片方の手がヴァルの身体の側面に回ってきたから、そちらも指を絡めて握ってやった。  股間はズキズキと痛むほど張りつめてきたが、ヴァルは精神を削って努めて冷静にそして穏やかにヴィティスを励まし続けた。  彼は飛び級をしているがまだ一つ年下つまりはまだ未成年だ。高等教育学校の最上級生であり成人しているヴァルがこの場は守ってやらなければならない。  大分穏やかな呼吸に戻ってきたが、ヴァルのほうがもはや我慢の限界が近づいていた。 (くそ、これじゃほんとにケダモノになっちまう。こいつを頭からバリバリ喰いたくてたまらない。喉が焼け付く。コイツが欲しい!欲しくてたまらない!)  一刻も早く身体を離さなければこのまま自分がラットにでも入ったら、もう取り返しがつかない。絶対にヴィティスを穢してしまうだろう。 (この首輪の男がヴィティスの相手ならば、この一大事に何してやがるんだ。俺なら番にしたい相手から一時だって目を離さない) 「ヴィティス、落ち着いたな? 流石にもう離れないと、俺がまずいっ」  するとヴィティスは強く強くヴァルの手を指先でかしめるようにして握り返したまま、片足をヴァルの腰の下から寝台の上に落とすと、もう片方の手をヴァルの方を縫い留めるようにして体勢を変えてきた。  そしてあろうことか自分の腰の物でヴァルのそれをぐりぐりぐりっと押し付けてきたのだ。 「はあ、あんっ!」  薄暗い明かりに照らされる顔はあまりにも綺麗で、甘い甘い吐息を漏らし、臈たけた美貌に黒髪を乱れさせ、赤いぽってりとした唇から喘ぎ声と赤い舌を覗かせ乍ら一心不乱に腰を振る。  脳天まで快感が突き抜け、すぐ達してしまそうになるのをぐっとこらえた。  最早半分、意識が飛びかけているのかあまりのいやらしさとそれをも超越する淫蕩な美に充てられて、いよいよ本当にヴァルの神経が焼き切るかける。  さっきまではどんな勝負の時でも冷静さを失わぬもう一人の自分が常に計算をして上手にこの窮地を切り抜けようとしていたのだが、ここにきてもうそれどころではなくなってしまったのだ。  年ごろのアルファとオメガが、密室の中、身体を密着させて互いのフェロモンをこれでもかというほどに吸い込みあって、その上柔らかな寝台の上だ。青船特有の扇情的な香が炊かれたあともあったが、それ以上に互いの全てに惹かれ合って相手を手に入れたくて狂おしい。  それでもヴィティスの細い身体を無理矢理にでも跳ねのけて船から飛び降りたらなんとか逃げおおせたかもしれない。  しかし先ほどの苦し気なヴィティスの様子も頭を離れず、縋ってくる身体を置き去りにしていくこともできず、ヴァルは幾重にも張り巡らされた細くも強靭な蜘蛛の糸に絡めてとられた蝶のようなありさまだ。 「ばぁる、いかないで……」  そしてヴィティスが呼んだのはまだ見ぬ首輪の男でもなく、ましてやエロースでも親でもない。ヴァルの名前を呼び、眉を寄せ凄絶な表情でぽろぽろと涙をこぼした。  そして、結局身体の誘惑よりも何よりも。  勝ち気な彼がヴァルに頼りなげに縋るこの哀願が何よりもヴァルの心を撃ち抜いてしまった。 「ヴィティス!」  その瞬間、ヴァルは反射的に赤く揺らめく茱萸のようなヴィティスの肉感的な唇を奪い、得意の寝技の技術を如何なく発揮しながら、逆に彼の身体を寝台の上に縫い留めた。  黒髪が褥に広がり、ヴィティスの神秘的な瞳に金色の輪が再びざわざわと広がっていく。  蜘蛛がついにその巣に仕留めた、黒く大きな羽を広げた美しい揚羽蝶のような美しさに魅入られ捕まったのは、逆に捕食者である自分なのではないだろうか。 「ゔぁる、きてっ。ほしい」  なけなしの理性を手放したヴァルはヴィティスの真っ白なシャツをむちゃくちゃに破り捨て、美しい胸元にむしゃぶりついていた。
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