目覚めの囀り 

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目覚めの囀り 

 本日二回あげます その1です💕  瞼を閉ざしていても差し込む光が眩し感じられて、ヴィティスは誰もかれもが瞬時に見蕩れる彼特有の宵の空に似た青紫色の瞳をそっと開いた。 (ここは……、どこだ?)  焦点が合うまでに時間がかかるほど部屋の中が眩しい。  片膝を立てて起き上がると、視界に白いシャツから伸びた自らの素足が見えた。  なんとなく下半身がすかすかするから、下着も身に着けていなさそうだ。 粗雑に頭を掻こうとして腕を持ち上げようとしたが何かが邪魔をして動かない。 はっとして左手を見たら二回りは大きく分厚い男の手に握りしめられていることにびっくりした。 「な、な、なんだこれ??」  しかもそのすぐ傍にはあの、校内随一の有名人、ヴァル・アドニアが満足げな笑みを口元に浮かべて、陽光に透け蜂蜜をたらしたような豪奢な金髪を輝かせ無防備な寝顔を晒している。  状況を説明するとしたら、寝台で眠っていたヴィティスの腕を握りしめたまま、ヴァルは寝台の下に座り込んで顔だけ乗っけて眠っていたということになる。 (ヴァル……。改めて見ると寝ててもデカいな……。この腕、俺の腿ぐらいあるんじゃないか?) がっしりとした身体を寝台に悠々と沿わせ足を崩す姿は、まるで眠れる虎のように見える。  格闘技やスポーツで右に出るものがいないという年上の同級生は、上背もありヴィティスにとっては身内であるフェル族に近い体格をしている。 制服のシャツの上からでもわかる筋肉で覆われた頑強な身体はどこにいても目につきやすくすぐに視界に入ってくるのだ。  しかしどこか近寄り難い孤高のオーラを放ってもいて気になる存在ではあったが、ヴィティスは昨日まで彼とろくに言葉を交わしたことは無かった。 (とりあえず俺の服はどこだ?)  着せられていたのは明らかに大きなヴァルのものであろう、白い綿製のシャツ一枚きりだったから、とりあえず身支度を整えたくてヴィティスは寝台から飛び降りようとした。  しかしヴィティスが勝手に自分から離れていくのを拒むかのように手をがっちりと握られていて、その先には重たい腕が繋がって離れない。 一族最強と歌われたフェル族である叔父のラグ以来見たこともない程大きな指先を、そっと外そうとした時ヴィティスは違和感に気が付いた。 (嘘だろ……。もしかして……)  久しぶりに首筋全てに風が当たり、息苦しさの消えた自らの首に触れた後、ふとヴァルの寝台に頬をついた横顔に視線を落す。  愛を交わし合った恋人同士のように指を絡めたまま握られた手の間に、憎々しいあの金色の首輪が握られていたのだ。 「は、外れてる!!!」 (外してくれたんだ……。ヴァルが……。すごい、すごいよ)  心の中では素直にそう思い、ヴァルを今すぐ叩き起こして感謝を述べたい気持ちでいっぱいになった。  心臓が高鳴り口から出てきそうになるほど、ヴィティスは思いがけぬ歓喜に打ち震え、頬を紅潮させて高らかに『やったぞ! 外れた!』と叫び声をあげたい気持ちを何とかこらえた。陽だまりの中、心地よさげに眠るヴァルを起こしたくなかったからだ。  腕をとられたまま、ヴィティスは尻をよじよじと動かし、寝台横の窓枠まで近づくと少し古めかしい外に向かって両開きに開くそれを開け放った。 (広い庭がある家だ。街中じゃないのか? 大きな木が紅葉してる)  赤や黄色に色づいた木が風に梢を揺らしてかさかさと音を立て、大きな葉っぱがそれに乗って蒼天に飛び上がっていく。  心地よい秋風がヴィティスの顔の周りに纏わりついた髪を軽やかに舞わせ、思わず乱暴に首をごしごしと擦るとこの数か月悩まされた首の痛痒さも吹き飛んだ。  ヴィティスは打ち震えた喜びにぱあっと顔を明るく綻ばせ、心の底からの感謝を込めて大きく口を開いた。 そして故郷の山にいる時よりはやや薄い青色の空に向かうとすうっと息を吸い込み高らかに歌い出した。  それは独特な抑揚で、今使っているこの国の言語とも違う。  一族の山里に伝わる、巫が大地の女神に感謝をささげる時の讃美歌。  かつては一族に生まれた男性のオメガが継承していたという巫の座は今では絶えたが、ヴィティスは母であり同じく男性オメガであるヴィオから伝承されていた。  ヴィオは一族の文化伝承を絶やさぬために兄弟や里の長老たちと口伝えに繋いできた歌を記録に残す作業を人生の仕事の一つと定めてきたのだ。  ヴィティスの声は女性の高く澄んだそれとは一味違うが男性の低く響くそれと言い切るにはまた違う。  どちらもの良いところを取ったような、聞く人の情緒に訴えかけかける甘さと説得力、そして野性的で朗々とした声色は音域が広くそれ自体が艶やかに響く一個の楽器のように響き渡った。 『大地の女神よ。シャンヴィアよ。  芽吹き、花開き、大地を覆う。  我が心の中までも、貴女の花で満ちる時。  感謝を捧げん、我が母よ』  秋の凛とした空気を震わせ、二節程謳ったところで急に背後で扉が大きな音を立てて開かれたのだ。 「あの! 今の歌声って……。君?」    ヴィティスは山育ちで唄う時はかなり声量がある。そんなヴィティスの歌声が家中いっぱいに流れていたのだ。  細く長い脚がもつれる程の勢いで部屋に飛び込んできたのはヴァルの兄で大学生のシリルだった。  ヴァルとは違って背丈はあるがほっそりとした優美な美男子で、かつてはラズラエル百貨店で花形エレベーターガールを務めた華やかな母親の面影が色濃い。  ヴァルとよく似ているところは明るい色の金髪だろうか。あとはまるで似たところのない兄弟だ。  そんな彼の登場に流石にびっくりして黒い長い睫毛で彩られた潤む瞳をまん丸にしたヴィティスの、朝日に艶々と輝く長い脚の悩ましさと、寝台にがばりと伏せながら眠る弟の姿を何度も見比べては、うぐっと変な声を上げる。  明らかにただならぬ雰囲気を醸し出す弟たちの姿に流石に見てはならぬものを見た心地になった青年はわたわたと顔を真っ赤にして慌てふためいた。  そんな彼の後ろから肩にするっと腕が回り、もう一人さらに彼より背丈の或るダークブラウンの髪をした青年がヴィティスの色っぽい姿を見て片眉を上げると、ぴゅーっと嘲けて口笛を吹いた。  男前だが少しだけ一筋縄ではいかなそうな後ろの少年をヴィティスが勝ち気にねめつける。すると彼の代わりに兄が頭を下げた。 「ご、ごめん。君ヴァルの恋人、だよね? こいつが人をここに連れてくることがないから驚いちゃったし、すごく魅力的な歌声であまりに理想通りだったから思わず来ちゃったんだ。俺、ヴァルの兄貴のシリル。こっちは友達のブラッド。急に部屋を開けたりしてごめんね」  恋人ではない。断じて。  あのチョーカーが外されたことが嬉しすぎて頭からすっかり抜けていたが、今の状況が傍目から見たら確実に情事を交わした後の朝にしか見えていないであろうことはヴィティスにも想像がついた。  しかし日頃頭が切れる方のヴィティスも、今朝は驚くことばかりで寝起きの頭では色々な理解と整理が追い付いていないのだ。  昨日まで口をきいたこともないクラスメイトの自宅で眠っていた事実に驚いて、さらには色々思い起こすと昨日の夜の一部始終が脳裏に浮かんできた。 『もっと……。気持ちよくなりたい?』  低く欲に濡れた声で囁かれ、未踏の快感へ一気に足を踏み出し堕ちていった狂乱の記憶。  貫かれ、揺さぶられながら彼の背中を猫のように爪を立てるしかできなかった。そののち意識が遠くなって朧気だが、熱い彼の息遣い、身体に受け入れた脈打つ重みをまだ覚えている。  ヴィティスは自由な方の手の甲を熱くなった頬に当て冷やすが、のたうち回って暴れたいほど恥ずかしくて堪らなくなった。 (……クソっ。ついにフェロモンが暴走して、やっちまったか……。あいつらをぶちのめしたらすぐに離脱してやろうと思ってたのに。タイミングを失敗した? いや……強いアルファの誘引にあって止まらなくなったのか? とにかく俺がねだったから、こいつは俺に自分をくれたんだ。ものすごい迷惑をかけたのに、首輪まで外してくれた。…)    金色の巻き毛をした美しい彫刻のように刻まれた横顔を見おろして、ヴィティスは普段よりさらに腫れぼったく、赤くぷくっと膨れた唇を噛みしめた。 (アドニアは間違いなくアルファだろうな。学内でも有名な競技者だし、宵の明星生じゃないけど有名人だものな。こいつを巻き込んだのは完全に俺の責任だ……。謝ってすむかは分からないが、目覚めたら迷惑をかけたことはしっかり謝ろう)     獣性の力というのはフェル族ドリ派に伝わる膂力を一時的に増幅させることができる力のことだ。  瞳の瞳孔を取り囲む虹彩に金色の環が大きくあるほどその力が強いと言われていて、母のヴィオはずっと昔にあったという戦争時、国の英雄として名高かったという大叔父であり、叔父でもあるラグに続いてその能力が高い。  獣性の力は甚大で、日頃は体格ではヴィティスの方が劣るアルファ性を持つ弟のシトラスや同じくアルファの従兄弟の双子と対決してもヴィティスが勝つか互角に渡り合えるほどだ。  しかしどういうわけなのか、発情期を迎えた前後から獣性の力を解放した後に強い性衝動を覚えるようになっていたのだ。 (ほんと、最悪。あのクソ野郎どもに絡まれた時に力を使ったせいで発動したんだ)  恥ずかしい話だが、なんとなくまずいな、と思った時には一人になれる場所に駆け込んで、自分で自分を慰めて今まで何とかしてきた。それ以上に獣性を使うような事態にならない様に極力静かに暮らしてきたのだ。  身体が危機的な状況を迎えると、種の保存の本能が高まるためなのか、どういうメカニズムなのが正直よくわからない。  なにしろ身近なただでさえ人数の少ないドリ派フェル族の男性オメガが母のヴィオしかいない状態なのだ。  ヴィオは発情期が来てすぐに父と番になっていたから参考にならないし、そもそもこんなこと恥ずかしくて家族にも話したくなかった。  発情期自体は初回を経てから経験したのは1度きり。日頃から極力フェロモンを出さぬように抑制剤を服用して、発情期に差し掛かる時期は家に籠るなど気を付けてきたばかりだ。  というのも母のヴィオがアルファすらひれ伏す、女王の如き強いオメガの誘惑フェロモンを放出する性質であったらしく、かつてそのことで事故を起こしかけたことがあるのだそうだ。  ヴィティスもオメガ判定を受けたとき体質が似ているかもしれぬと非常に家族から心配された。テグニ国への留学を祖母がすんなり許してくれたのは、祖母の選んだ信頼できるお目付け役が付いていたのと、発情期が来る前にすでに決まっていたことだからだ。   「恋人じゃない、です」 「そうなの? でもじゃあなんでそんな姿……」  流石に突っ込み過ぎだとブラッドの方がシリルの頭をこつんと拳でノックした。 (確かにこんな姿さらして、まるで俺がアドニアと身体だけの関係があるとでも言ってるみたいじゃないか。純粋な事故なのに)  説明したいがどこから話していいのかわからず、ヴィティスは緩く握った拳の指先で唇に触れながら、顔を仄かに赤くして長い睫毛を伏せた。  その貌は迸る色香とは真逆の純真な仕草で、落差に胸を撃ち抜かれたシリルは心を奪われたように見惚れて持っていた楽譜をばらまいてしまった。  急に繋がれていた指先がきゅっと握られてヴィティスは視線を深い紺色のシーツの上に目を落すと、ヴァルが目を覚まして長く逞しい腕を上げて変な姿勢で眠り凝り固まった身体を伸ばしているところだった。 「……煩いな。何の騒ぎだ?」    やや寝ぼけているのか首をこきこきと動かすと、野性の動物が首をもたげるような仕草で戸口に立ち尽くす兄をぎゅっと目を凝らして見据えた。 「兄貴? ブラッド? なんでここにいる?」    幼馴染と兄相手に砕けた口調で面倒くさげに尊大に対応している。  繋いだ大きな手を離そうとしないヴァルの様子に内心どきどきしているヴィティスは、背丈に見合った重量感のヴァルが隣に腰かけ沈む寝台でバランスを崩しヴァルの膝の上に倒れこんだ。  ヴァルは何気ない仕草でそんなヴィティスをひょいっと片膝の上に抱き上げ載せると、その艶々と長い黒髪越しに額を肩に押し付けてきた。  肩に感じるふっさりとした巻き毛のくすぐったさと、甘えるようなそんな仕草にヴィティスが戸惑って小首を傾げると、輝くように美しい双眸がヴィティスを捉えながら笑みを刻んで、ひと房を手に取って口づける。 「おはよう。ヴィティス。良い朝だな?」 「あ、うあ。おは、よう?」  耳まで顔を真っ赤にしたヴィティスがおたおたと膝から降りようとする姿にヴァルがくすりと甘い雰囲気で笑う。  弟の見たこともないような蕩ける笑顔にシリルの方が照れてしまってブラッドを見上げると、彼はやれやれといった感じで親友の肩を抱き寄せてがくがくと揺さぶって彼も驚いていると伝えてきた。 「ヴィティス。お前、昨日と別人だな。学校ですかしてるのとも違う。それが地なのか?」 「……あ」 「案外可愛いんだな?」  見下ろす瞳があまりにも優しくて、だがその中に欲のにじんだ男の色香も透かしみえる。  ヴィティスは長い睫毛が反り返るほど目を見開いて男慣れせぬ処女のように握られていない方の手をヴァルの手に当てて身体を離そうとした。  しかしヴァルはそれを許さず肩を強く抱くと揶揄うようにヴィティスの頬にゆっくりと厚みのある形良い唇を押し付けてきた。  ヴィティスが喉元で『ひぃ』という声を出したのを含み笑いで面白がりながら、ヴァルは兄たちにちらりと色っぽい目線を贈った。 「とりあえず部屋、出てってくれよ。ヴィティスと話があるんだ。身支度したら下に降りるから、何か食べるもの用意してもらっておいて?」  どちらが年長か分からぬような尊大な台詞だが、優しい兄はこくこくと頷くと、ブラッドの腕を引っ張って扉の向こうへ走っていった。      
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