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「大丈夫。俺にも視えてない」
「え!? どういうことですか?」
すると、俺の肩の上で胡座をかいた桜爺が、「どうやらヤツの言霊は、鬼の眼の力を与えているわけではないようじゃな」と言った。仮説では、その場に居る霊の姿を視る能力を付与しているということだったが、この現状を目の当りにして見解が変わったようだ。
言霊によって視えていたのは、“本人の記憶の中に存在する姿”ではないかということだった。
つまり自殺した二人は、村雨の言霊ブレスレットを付けることにより、記憶の中の最愛の家族の姿を現実の世界で再生し、それを見ていたということだ。だから話しかけても、映像は柔軟には答えてくれなかったのだ。
しかしそれを今回の双葉のケースに当てはめると、彼女は出産する前に我が子を失ったのだから、我が子の記憶などあるわけがない。
「じゃあ今、双葉さんは一体何を見てるんだ?」
「幻影じゃな」
双葉が見ているのは、頭の中で勝手に作り上げた理想の我が子、つまり妄想で作り上げた幻覚を視ているのではないか、ということだった。
(だからブレスレットだけじゃなく、次々に村雨からアイテムを購入したのか?)
もともと会いたい人物像が記憶の中で鮮明に残っていたのだとしたら、村雨の言霊ブレスレットひとつで容易に映像を再生出来たのだろう。だから自殺した二人は、ブレスレットだけで満ち足りたのだ。
しかし双葉の場合は、まだ見ぬ未来の赤ちゃんという妄想なので、ブレスレットひとつだけでは鮮明に再生出来なかったのもかもしれない。村雨の言霊ブレスレットはきっと、少しだけ彼女の妄想を具現化したのだ。それで双葉はさらに鮮明な具現化を求め、何度も村雨のところへ足を運んだのだとしたら、一応辻褄は合う。
村雨の売るアイテムを買えば買うほど、彼女の妄想による我が子の姿が鮮明になっていった……ということではないだろうか。
だがそれが幸か不幸か、双葉に自死を決断させるまでには至らなかった。最愛の者の姿が記憶の再生ではなかったことと、赤ちゃんはもともと言葉を喋れないこともあり、会話を交わしたいという欲求に駆られなかったからだ。
「じゃが水子とは言え、これだけの霊が集まっているからのう」
(生気が……吸われているのか)
双葉がやせ細った理由は、長時間起きていたり食が細くなったせいもあるだろうが、幻覚の赤子をあやすことによって集まってしまった水子の霊たちに、生気を吸い取られているからだろう。
人間と幽霊が一緒にいる時間が長ければ長いほど、人の生気は霊に吸われてしまうのだ。このままの状態が長引けば、俺が学生時代に体験したように、生気が枯渇して遅かれ早かれ生命自体が危うくなる。
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