29.言霊ブレスレット

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 その差し出された手を掴もうと交番の中へ入ろうとすると、虎我から「二人とも仕事の邪魔だから他所へ行ってくれ」と早々に追い出される。どうやら村雨が難癖をつけて結構な時間ここに居座っていたせいで、二人の仕事が滞っていたらしい。  仕方なく俺たちは、交番前の幹線道路沿いにある最寄りの喫茶店へと歩き始めた。 「ところで村雨さん、今日は何で俺を?」 「まぁまぁ、それは追々な。その代わりと言っちゃ何やけど、わいはもう“霊能力者”の商売を畳むことにしたわ」 「辞めてもいいんですか? 娘さんの養育費……」 「それは稼がなあかんけど、内海さんの件を聞いたら流石になぁ……」  霊能力者という商売は、あくまでも誰かを救うためにやっていたのであって、誰かを不幸にするくらいならやらない方がマシだと、村雨は力なく笑った。娘の作った手作りレジンアクセサリーを「水晶」と偽り、依頼者に高額で買わせた事実はあるものの、目的はやはり依頼者を救うことだったようだ。  そんな彼の本性にホッとして口元を緩ませていると、村雨の背後に細身で髪の長い中年女性の姿が薄っすらと浮かび上がる。彼女が見つめる村雨への眼差しはとても優しげなものだったが、彼女の首にはビニール紐が巻き付いていて、その紐は上へと伸びていた。 (もしかしてこの女性(ひと)は……村雨の母親か?)  村雨の父親が亡くなった後、母親は精神的に不安定になり首吊り自殺をしたという話だ。首吊りにこのビニール紐を使ったのだとしたら、村雨を見つめる眼差しの温かさにも納得がいく。  彼女は俺の視線に気づくと、ひとつお辞儀をしてスーッと空気に溶けていった。おそらく彼女も虎我の祖父のように、村雨を見守る守護霊なのだろう。彼女は村雨を残して父親の後を追ったが、息子のことも決して忘れてはいなかったのだ。そしてあの温かい眼差しは、村雨の選択が英断だったことを物語っている。  そんなことを考えながら車通りの激しい道沿いの歩道を歩いていると、あっという間に目的地の喫茶店が見えてきた。ここは自宅からもすぐ近く、最後に茜と喧嘩した思い出の場所でもある。  店舗はそれほど大きくはなく、駐車場も五台ほどしか置けるスペースはなかったが、お洒落な雰囲気と落ち着く内装で地域住人に長く愛されている名店だ。  店内へ入り、ウェイトレスに空いている席へ案内されると、村雨は「ここは奢るし、好きなの選び」と言った。 「え? 何で?」 「内海さんの件のお礼や」  村雨は細い目でニッコリと笑う。虎我からどう聞いたのかはわからないが、あのまま放っておけば双葉も三人目の犠牲者となっただろうことを聞かされたのかもしれない。おそらくそれを防いだことへの礼なのだろう。
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