第一章

1/12
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/71ページ

第一章

 誰もいない教室。私がつま先で走る足音しかしない廊下。  たったそれだけで、毎日来ているはずの学校が、全然別のものになってしまう。  仲良しの友達に冷たくあしらわれたような、そんな気分。 (どうしてかな?)  私はふらふらする頭で考えてみた。  ふらふら……フラフラ? あれ、なんで私しゃがんでるのに目が回るんだろ?   あわてて自分に気合を入れなおして、バテ気味の体を叱り飛ばした。まだ制服じゃなくて、体操服着てるだけ、涼しくてマシなんだから。 「部長~! 聞こえますかぁ!」   廊下のはるか彼方から、史ちゃんの元気な声が響く。こんなにバカ暑いのに、なんで元気なんだろう?   史ちゃんが中学三年、私が高校二年(うちの学校でいうとろの「五年」だ)たった二年の差がこんなところに出るのかね、と少し悲しくなった。 「こっちはー、オッケーですー!」   史ちゃんの声は、大声を出しているせいか、語尾が少しのびる。 「サンキュー! もちょっとそのままでお願いー!」   私はしたたってくる汗を気にしながら、レポート用紙に巻尺の目盛の数字を書き込んだ。  下を向いたはずみで、ポニーテールに入りきらなかったこめかみの後れ毛から、汗がレポート用紙にぽとりと落ちる。汗はふき取る間もなく染み込んで、あっというまに白い紙の上に灰色のしみを描き出す。  私は眉毛が薄いから、目にも汗が入りそうになって、あわててTシャツの肩のあたりで顔の汗をぬぐう。 (うー……暑すぎ!)  本日は八月三日。もちろん学生にとってのメインイベント、夏休みも真っ盛り。休みのど真ん中になんで学校に来なくちゃいけないんだ! と叫びたいけど、私がこの仕事をサボるわけには行かない。  高村里花、高校二年、私立愛徳女子学園建築研究会(略してケン研)の部長であるこの私が、夏休みの部活動をサボるわけにはいかないんだよね、常識的に考えて。  突然だけど、みんな、自分の学校の校舎のサイズって知ってる? 知らないよね。廊下が何メートルだとか、教室が縦何メートルで横が何メートルかとかなんて。ウチの研究会は、今年の文化祭の発表のテーマにそういうのを選んだんだ。  普通の日じゃ生徒がいるし、土日に日曜に入る手続きは面倒くさい。だったら、夏休み中に発表のために必要な測定をしてしまおう、ということになったんだ。  もっとも、正確なサイズは巻尺なんかじゃ測れないんだけど、まあそれはそれ。ウチの学校は高校に上がったら、文系理系にさらに英語選択とフランス語選択には分かれてるけど、あいにく建築科なんてものはない。だから誰も正確なデータは期待していない、故に、巻尺で問題なし、というのが歴代の部長のお言葉だ。  夏休み中に合宿をすれば、その間は大手を振って面倒くさい予備校が休めるから、とかそういう個人的な理由はおいといて……とにかくそのために、私たちは、このクソ暑い中、学校にいる。 (でも、ちょっと失敗だったかも……暑すぎるよ)  のどを流れてゆく汗を不快に感じながら、直線距離で数百メートルも離れていない所にあるプールで、同じように合宿をしている水泳部の事を思った。 (あっちは涼しそうだよなー。でも一日キロ単位で泳ぐような事、私にはできないしなー。まあ、でもソフト部とかテニス部よりはマシかな? ここ、炎天下じゃないし)  屋外球技系の彼女たちは日陰もないような場所で走り回ってるのだ。熱中症にだけはかからないようにね、と何人かのクラスメイトを思い出す。  廊下の向こうから、史ちゃんが叫んだ。 「里花センパーイ! まだですかー!」  「あ、ゴメン! もーいいよー!」  「ハーイ!」
/71ページ

最初のコメントを投稿しよう!