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2.
狐面の少女の夢などすっかり忘れてしまった、ある日。
和室に入った彼は、襖が少し開いていることに気づいた。
ほんの五センチほどだったが、きちんと閉められずに隙間があった。
大ざっぱな性格の妻がよくやることだ。
食器棚のガラス戸がほんのちょっと開いていたり、風呂の蓋がずれていたり。冷蔵庫の扉が閉められていなくて、警告音が鳴りっぱなしだったこともある。
彼は襖の扉を閉めようとしたが、ふと手首を返して、反対に大きく開けてみる。
押入れの中は、きちんと整理整頓されていた。
もっとも娘が扇風機を出し入れしたり、友達が遊びに来たときに布団を出したりしていたので、娘が片付けてくれたのかもしれない。
彼はそのまま襖を閉めようとしたが、奥のほうに積まれている段ボール箱に目が行く。
段ボールには黒いマジックで『キツネボックス』と書いてあった。
その下には『開封厳禁』という文字。すぐ横には、子供たちの誰かが描いたらしい、猫にも見える下手なキツネのイラストもある。
「あら、どうしたの?」
廊下から妻が顔を覗かせる。
「ああ、襖が開いていたから閉めようとしたんだけど」
「ごめんなさい。またやっちゃった」
妻は、エヘヘッと明るく笑った。
「キツネボックスって何?」
彼が訪ねると、妻は目を大きく見開いた。
「えっと、その……」
わかりやすく慌てふためいて、言葉を探す妻。
すぐに探し当てたと見え、ぎこちない笑顔を彼女は作る。
「そう、子供たちの工作よ、思い出した!」
「子供たちの?」
「ほら、小学生のとき、夏休みの工作で賞をもらったことあったでしょう。よくできたで賞とか。あと上手く描けた絵なんかも、まとめてあの箱に入れたのよね。捨ててしまうのに忍びなくて」
「何で『キツネボックス』っていう名前?」
「あー、誰かが狐のお面を作ったことがあったのよね。それも箱に入れたの。だから、『キツネボックス』! 何か可愛いでしょ」
妻は早口でまくしたてた。
「あの猫みたいなキツネの絵は?」
「珠美が描いたんじゃないかな」
『珠美』というのは、末の娘の名前だ。
「ま、まあ、いつまでも置いといても仕方ないわよね」
「暇なときにでも写真撮ろうか? そうやって残しておいたらいいらしいよ」
「う、ううん。三人ともみんな結婚しちゃったら、そうするわ。それまで、もうしばらく置いとくね」
妻は何もない廊下でつまずきながら、洗面所のほうに消えた。
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