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3.
初夏の新しい緑に包まれた、会社のすぐ近くにある公園。
その日は良いお天気だった。
彼はそこのベンチに座って、妻の作ってくれた弁当を食べていた。
「そうだよな、寂しいよな」
子供たち全員が、同時に家から出ていってしまったのだ。
当然、喪失感も大きいだろうし、寂しさも計り知れない。
家の中はひっそりしている。トイレの取り合いをしたり、風呂の順番で揉めることもない。どこに行っても静かだ。
子供たちの工作ぐらい、思い出に残しておきたいと思っても、それは自然なこと。
弁当だって作る必要がないのに妻は作っている。彼がもう作らなくてもいいよと申し出たのに、朝からリズムが狂うからと言って彼に持たせるのだ。
そして、妻は最近、パートで働き始めた。
職場は商店街のパン屋で、パンの作り方も教えてくれるという。
付き合い始めた頃、妻は製菓の専門学校に通っていて、いずれパン屋さんをしたいと言っていた。
けれども結局、子供が出来て彼と結婚し、専業主婦になることを選んだのだが。
息継ぎも出来ない毎日だった。双子の息子たち、その後に生まれた娘の育児、家事。仕事は常に忙しく、昇進に伴う資格試験の勉強なども重なった。
妻とは夫婦というよりも息の合った戦友だ。
もう戦いは終わった。各々ゆとりの出来た時間を楽しめばいい。
やれなかったこと、やりたかったことをするべきなのだ。
とはいえ、あの動揺の仕方は尋常ではない。
そもそも、子供の工作が入っている段ボール箱を開封厳禁にする必要があるのか?
その時、誰かが楠の落ち葉を踏むカサリという音がした。
顔を上げると、黒い狐の面を付けた少年が彼の近くに立っている。
夢の中に出て来た、あの少女と色違いの狐面だった。
彼はススキ柄の着物に薄緑の帯を巻き、下駄を履いていた。
「よお」
狐面の少年は片手を上げ、彼に軽く挨拶をした。
「覚えてる? 俺のこと」
少年は黒い狐面をぐいと上げた。
面の下から、あの少女とよく似た透明な薄紅の目、赤い瞳が現れる。
髪はやはり銀色だ。ただ、少女のように長くはなく、ぼさぼさの短めの髪だった。
「きみは、この間の子の兄弟?」
彼はチッと舌を鳴らし、しようがないなという感じで答える。
「イトコだよ。知ってるだろ」
「知らないよ。君たちが兄妹だとか、イトコ同士だとか、何で僕が知ってるんだ?」
「じゃ、僕らの名前とかも、全然覚えてないわけ?」
少年が、あきれたように言った。
彼が頷いたのと同時に、何か柔らかい物が彼の胸元に飛び込んでくる。
それは木の葉を頭にくっつけた、黄色い狐の縫いぐるみだった。
どうやら少年が彼に向かって投げつけたようだ。
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