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喫茶店のドアを開けると、ドアベルが穏やかに鳴った。店に入ったとたん、コーヒーの香ばしい香りが、鼻孔をくすぐる。僕たち以外の客はいなかった。
「いらっしゃい、優也君、灯さん」
「おはようございます」
僕がマスターに挨拶すると、僕の後ろに隠れてしまっていた灯もひょっこり顔を出して、にこやかに返した。
「好きなところに座って。二人とも、モーニングでいいのかな?」
頷くと、白い口髭から微笑が漏れた。
「かしこまりました」
緩くお辞儀をしたマスターは、皺の目立つ手で食器を出し始めた。
年季の入った角の席に、向かい合って座る。灯は真っ黒なワンピースを着ていて、髪を緩く縛って上げていた。透明な石がついているネックレスは、涼しげに開かれた鎖骨の上で波打っている。マスターが、冷たい水が注がれたグラスを置いて、調理場に戻った。
「食べ終わったら、行きましょうか」
お冷を飲もうとしていた灯が、一瞬だけ動きを止める。
「どこに?」
分かっているだろうに、灯は聞き返してきた。去年も東京から、今くらいの暑い時期に遊びにきて、今日と同じ日に、黒っぽい服を着ていたのに。グラスを手の中で遊ばせている彼女は、その透明な揺らめきを見ているはずなのに、その奥にある何かを見つめているようだった。
「幸大のお墓参りです」
「……いいの?」
「幸大があなたの恋人だったことを、気にしていないと言えば嘘になります。でも彼が、あなたにとって、大切な人であったように、僕にとっても大切な友人で、可愛い高校の後輩だったんですよ」
灯がどんな言葉を返してくるのか知っていたから、普段の自分ではありえないくらいに、次々と言葉が出てきた。嘘と本当を混ぜた汚い言葉に、彼女は遠慮がちに頷く。本当は、頷いてなんてほしくはなかった。
「お待たせしました」
マスターが運んできたモーニングには、もちろんコーヒーがついていた。
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