始祖イリヤの恋とか中央アジアとかロシア革命とか、適当に書くよ

1/1
前へ
/25ページ
次へ

始祖イリヤの恋とか中央アジアとかロシア革命とか、適当に書くよ

イリヤの本流に当たるロマニフ王朝は17世紀から20世紀まで興隆した東ヨーロッパの王朝(以下本家と表記)。 現在のロシア・ウクライナ・グルジアあたりから中央アジア・シベリアに至る地域を統べていた。プロイセン(今のドイツ)やイングランドなどヨーロッパ諸国と政略結婚で婚姻関係を結び、勢力を拡大した。18世紀末に繁栄を極め、19世紀の後半から凋落し始める。 1905年、ロシア帝国は日露戦争で日本にまさかの負けを喫した。衰退の途にあったこの頃、血の日曜日事件をきっかけにロシア第一革命が起きる。 1916年、現在のF国カシュガラ南部を含む一帯で、「植民地政策マジやってらんねー!」とブチキレた農民や遊牧民など宗教勢力による一斉蜂起が起きる。戦線は拡大、フェムナ近郊の幹線道路は激戦地となる。余波は幹線道路の終着点、バハードまで到達。宮殿は大パニックに。 鎮圧のため部隊が編成され指揮官として采配を振るうことになったのが、ダーチャの曽祖父、イリヤ・ペトローヴィチ・ロマニフである。 イリヤは、どえらい美人だった。当時の皇帝(ツァーリ)さえも心奪われる「傾国の美女」(実際には美男なのだが)と揶揄されるほどだった。一族の女共の要らぬ嫉妬を買って、世界のド辺境・中央アジア植民区(現在のバハード)に追放されてしまう。 ただのお飾りだったイリヤが、バハードに駐留した僅かな期間で植民地政策の問題点を可視化する。そのことで遊牧民を悪戯に苦しめるだけだった国の政策にイリヤは疑問を持つようになる。 その頃、赤軍(ロシア革命側の一派)と共にマトヴェイがバハードに到着。イリヤがお忍びで参加した地元の農民集会で、二人は運命的に出逢い、絶対に許されない恋に落ちてしまう。 日に日にマトヴェイへの思慕の念が強くなり、遂に思いが通じ合った冬の夜、イリヤに悲運の知らせが届く。 ペテルブルクでのロシア2月革命の一報だった。 親族の数人は不穏な空気を察知し、いち早くフランスなどへの国外亡命に成功したが、西の宮殿にいた本家は全員逮捕され、皇帝・皇太后はもちろん、幼い皇子や皇女、侍従諸共全員銃殺された。こうして本家は断絶し、王朝は終焉する。 皇帝の庶子であるイリヤは、支配地域である中央アジアの辺境に居たため、国外逃亡が叶わなかった。皇子であることからソヴィエト全土で指名手配を受けたが、忠臣イワノフ(ダーチャの侍従の祖父)の手助けを借り、夜逃げ同然で逃亡。 その途中で辛くも検問に遭う。 検問官は他ならぬマトヴェイだった。思わぬ場所でイリヤと再会し、互いの身上を初めて知るが、マトヴェイはイリヤへの愛を捨てきれず、見逃してしまう。 その後、バハード郊外の半地下の別荘(ダーチャ)にイリヤは匿われ、軟禁状態になる。 この時、ロマニフ家に便宜を図ったのがカリムのご先祖に当たるボルシェヴィキ家。この三家は革命を通じて、強い絆で結ばれる。 イリヤはその後、ロシア貴族の血を引くエリザベータと結婚し、ヴィクトルが産まれた。ロマニフ家の再興をヴィクトルに託し、晩年までイリヤはこの別荘で静かに暮らす事となる。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加